トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

ほうとう

Dsc01046

ひさしぶりに、ほうとうを作りました。

ご存知、甲州名物の麺料理。

うちはオットが 山梨のしかも信玄のお膝元・韮崎なので

帰省の際には必ず、、といっていいほど

食べます。(外食で)

で、必ずといっていいほど

お土産にこの麺をもたされます。(涙)

 料理自体は

なんでもかんでもとにかく野菜を煮て(かぼちゃ、にんじん、きのこなど)

やわらかくなったら、ほうとう麺を投入。

麺が好みの固さにゆであがったら、味噌で味を調えてできあがり!という

いたって簡単なものである。Dsc01046_1

ほうとう麺は、小麦粉を水で練り、きしめんの倍くらいの太さに切ったもので

かなり粉っぽい。でもその分、煮ているうちにだし汁にとろみがつき、

あのほうとう独特の風味になるというわけだ。

 このほうとうは、一般的には

もともと「ぶと」という中国伝来の小麦菓子が変化して

麺料理になったものだと解説されている。「ぶと」が音変化して

「ほうと」→「ほうとう」になったというのであるが、、、、う~ん、

ちと、くるしいような。

で、中国伝来の珍しいものとして、もともとは貴族など身分の高い人が

食べていたというのだけど、戦国時代に武田信玄が戦地食として

家来とともに食べたので、庶民にも広く伝わったというのである。

これも、、、、う~ん、どうなんでしょ。どうかんがえても、私には

信州のおそばと同様、ほうとうも、お米の代替食としか思えないなあ、、。

山梨は武川村など一部の地域を除いてはそうそう大規模な

米作地帯もみかけないし、山地が多いし、、、全体的に食文化というのは

華やかではない。

このほうとう、ももともとはいりこや、昆布などの

おだしは使わずに、味噌の味だけでつくっていたというからなあ、、、

正直言ってそうそう、美味!なものではないのよね。

 我が家の場合は、ちゃんとおだしをとって、

お味噌以外にすり胡麻や、ゆず唐辛子をふりかけて、

ちょっと工夫して、いただきます。

麺はやわらかいし、かぼちゃも甘いし、子供の離乳食には

本当にお世話になったものでした。

 ちなみに、、、山梨で〔外食で〕このほうとうをいただきますと、、、

安くても1000円はいたします。

材料は小麦粉と野菜と味噌だからなあ、、とんでもなく原価は安いと思うのですが、、。

お肉が入ると2000円なんてものも!

だから名物は高くてまずいばっかりだ!なんていわれちゃう結果になると

思うのですが、いかがでしょう。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

コロッケの中には、、、

北海道のお肉屋さんが
牛肉コロッケの中に
豚肉やら、内臓やら、はたまた賞味期限切れのパンやらを
いれておった、、というのが
大きく取りざたされ、
私も連日あの猪八戒のような「肉屋顔」の社長と
そのできの悪そうな〔失礼!)息子さんたちの
様子をテレビで見ている。

その社長が
「これは肉屋の習慣だった!」
「ほかの業者もやっているんだ!」というような
不敵な発言をしているのを聞いて
高校のときの同級生、Nちゃんという女の子を
思い出した。

Nちゃんというのは
高校の2年生はじめぐらいまでは普通の、中肉中背の人であったが、
2年生の終わりごろになると
どういうわけか
みるみるやせ細り始めた人である。

もう、そのやせ方はすざまじく、
体の厚さが文字通り半分くらいになり
顔はカマキリのように頬がコケ、
一種、妖怪じみた風貌となった。

体育の時間などに
ブルマをはくと、ブルマから伸びる足が
爪楊枝のように細く
見ていて 折れはせぬかと不安になったほどである。

ただし彼女は肉体的に病気だったとか言うわけではなく
やせる前と後で性格的に大きな変化もなく
一貫してやさしい、穏やかなタイプの人だった。

で、自分がやせたわけを
こう説明した。

彼女いわく
「世の中の食べ物が信じられん!」というのである。

繰り返すが
この話は私が高校生のときだからもう15年も前の話で
その当時は誰も、雪印や加ト吉や
不二家があのようなおかしなことをやっているとは
疑ってすらいなかった、時代である。まだ、誰もが
「企業」を信じていた時代である。

私もクラスメイトも
賞味期限切れのミルクがはいっているなどとは
夢にも考えず、シュークリームを喜んで食べていた。

そんななか、Nちゃんは
「世の中の食べ物が信用できない」といったのだから
私を含め、周囲は
「はあ~~??」という感覚だった。

Nちゃんいわく
「パンだって、パン工場の人が
なにかへんなものを入れたって、わからないじゃないの。
おかしな薬をいれてるかもしれないし
ぺっと唾を吐きいれてるかも」

「バナナだって
外国から来る船の中でお薬にまみれてるのよ」

「ソーセージだって
あのお肉のようなものがお肉だという確信が
持てない」

「お店のハンバーグだって
昨日の売れ残りをもう一度まぜて焼いてるかも」
といった具合にまくしたて、
一切の「売ってるもの」を怪しみ、拒否していたのである。

そして唯一、
自分の祖母が畑で作っている野菜だけを食べて
満足していたが、、、なるほど
そりゃ、やせますわいな、、、という食生活であった。

周囲はみなこれは
あきらかな精神病だと思ったし
意地が悪い私など、拒食症なんじゃないの~と
ひそかに思っていた。

 今、テレビで
あの猪八戒が
「うちは古い肉屋の体質を残していただけだ」とか
「○○さんもやってた」とか言う姿。もちろん
嫌悪感を抱くし、みっともない言い逃れだとは思うが
正直、
「ほかのところもやってたんじゃないの、、」という疑念を
私自身ぬぐいきれない。実際、これって
ほかでも十分ありえるはなしだもの。

Nちゃんほどではないにしても
やはりかすかな恐怖を感じる。

コロッケにまぜまぜ~♪ができるなら
餃子にも
おからにも
肉まんにも
飛竜頭にも
つくねにも、
あとは、、、お味噌とかドレッシングとか
なんにでも、
「のこりもの」が混ぜられていそうな気がする。
おかしなものが入っていそうな気がする。

実際韓国で餃子が問題になっていたし
中国の米にはカドミウムが入っていた。

日常的にはうちは
お惣菜や冷凍食品は使わずに暮らせているけれど
たとえば旅先の駅弁や
外食やなんかで、、、と思うと
ゼロだといいきれない。

ミートホープというあの会社が
ホープレスになってつぶれても
実情はほとんどかわらないという人すらいるしなあ。

普通のお値段で
普通のものを買うのが、
いつからこんなに
難しくなったのでしょうかね、、。

ちなみに
私、25歳のころに ある島で
偶然、Nちゃんと再会しました。
Nちゃん、なんと
その島である宗教家のグループと一緒に
「自給自足」を実践する活動をしていた。

あいかわらず
がりがりで、おそろしくやせ細っていた。
偽装コロッケを口にして悩む心配はなさそうだが
あいかわらず、いろんなことを
心配している彼女だった。

人生、いろいろである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

卵のモロモロ

 その家でしか通じない、というか
家族同士でしか通じない言葉、というのがありますよね。
ほかの人が聞いても、「???」なこと。

うちの実家の場合は、母親がいい加減な性質で
なんにでも感じたままの名前、をつけているような
人だったので、いろいろあった。

卵のモロモロは、スクランブルエッグのこと。
彼女いわく、卵を「モロモロ」とするから。とか。
わけわからん。

前髪をまっすぐに切ってくると「ちょまみたい」という。
「ちょま」って何だ!?と問い詰めても
「むかしから言ってたのよ」などと笑っていて
結局「ちょま」は何なのか、わからない。
誰にもわからないのである。(ソマという差別用語が
あるのだが、それが起源なのかもしれない)

食事時に、お料理が出で来る前に
食卓についていると、
「このセンマツめ!」といってたしなめられた。
同じく「センマツ」って誰?である。
人名であることはたしかで、センマツさんは
食い意地がはっていたということは押しはかれるが
この場合も「昔、おばあちゃんが言ってた」というので
かたづけられ、センマツの素性はいまだなぞのままである。

こういった具合に、その家族の中だけの共通語。
これっておもしろい。
大学生になって家を出て、
大学の友達に「卵のモロモロ」といって、唖然とされたりして、
はじめて、ああ、これは「モロモロではないのだ、、」と気づいて
大笑いをしたりした。

きっとどこの家にもあるんだろうなあ。
うちの場合だと、
「ただいま~」といって帰ってくるべきところを、
私が「おかえり~」と迎えるため、
「家に帰ってきたとき」=「おかえりなのだ」と
勘違いしたチビが、「おかえり」と「おかわり」を
混同してしまい、
いつも「おかわり~」と言って帰ってくるのが
もう、ものすごくおかしくて、
大人たちまで最近では
「おかわり~」と言って帰宅する。
ああ、ばかばかしい。

けれどこのばかばかしさだけが
家族の宝物でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

下関~桜山神社~

 JR下関駅西口から191号線に出て

20分ほどあるくと、新地という地域に出る。

ここには市内ではわりとごちゃごちゃとした地域で

小さな商店や古い民家がぎっしりと立ち並んでいる。

そのうち、左手に大きな病院(下関厚生病院)が

みえてくるので、その病院を目印に行くとわかりやすい。

 厚生病院を過ぎてすぐの交差点に

「桜山神社」との看板を見つけたら、右折。

どんどん上っていくと小高い丘の上に「桜山神社」がある。

 ここは日本で最初の「招魂場」であり、

その発案者がかの有名な高杉晋作であることで

広く知られる。

高杉はもともと、自らの指揮した奇兵隊の戦死者を弔うことを

目的としていたのだが、明治維新後は長州藩の殉職者も

同じように弔われるようになった。

 ここにきて、私がいつも胸を打たれるのは

その招魂場の驚くほどの「シンプルさ」である。

生垣で囲まれた招魂場の中に

そっけないまでに、飾り気のない、ただの石柱が396本。

それだけである。

どれも同じ大きさ、同じ石の柱が396本。

それぞれに刻まれた名前をみると

もちろん、吉田松陰や高杉晋作、といった有名どころも、

苗字すらもたない、名もなき人々も、、、まったく同じように

まったく同じ大きさ、同じ形で、なんのわけへだてもなく

整然と並べられている。 

身分も、生まれも、功績の大小も関係なく、

みな同じように、、、奇兵隊の精神を見る思いがする。

 今はこんなに平凡で何の変哲のないこの田舎町にも

おそろしい戦いがあり、新しい時代に向かってもがき、走った人々があり、、

みな、今はこの地に眠っている。

そう考えると この

柱一つ一つに、手を合わせたくなるのである。

 また、名前どおり、ここは桜の名所でもある。

招魂場の周りも、満開の桜となり、物言わぬ396の柱のうえに

雨のように花びらが舞う。

春に下関にいらしたときはぜひ!

(住所)下関市上新地2-6-22 駐車場有

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゾウの耳に油

 地方に行って動物園を発見すると寄ってみたくなる。で、

時間が許すときにはわくわくと、入る。

 私の生まれ育った下関市には水族館はあったが

動物園はなく、動物を見ようという場合は関門海峡を渡ってはるばる

お隣福岡まで行ったものだ。だからか

動物園=お出かけ、という子供じみた喜びをいまだに感じてしまうのである。

 しかし。いくつか訪ね歩いた結果、、

地方の動物園というのは、、、都会の、つまり

上野の動物園だとか

横浜のスーラシアだとかそういうものとは

まったく別物だ!と心得てのぞまねばならないということに気づく。

コアラだのパンダだの、、はたまた 白いトラ、だの

そういうものを期待してはならない。

 たとえばここ、長野は小諸の城跡に忽然と現れる、小諸市立動物園。

何度か行っているが一度も混み合っているのをみたことがない不思議な動物園である。

中に入ると、うっと、獣のにおいはする。が、、きりんも、ぞうも、トラもいなかった・・・。

ケージの中には「しか」とか「うさぎ」とか「さる」とか、わりとのどかな動物が

主役である。あとやたらとDsc00564

「オウム」「かも」などの鳥類が目立つ。Dsc00563

みな、緑色の檻の中で、充血したような不機嫌な目をして

ずんぐりとだまっている。。 なんともいえない、、かなしい空間である。

獣らしい唯一の獣、、は、

なんと!百獣の王、ライオンで、私が行ったとき

この雄ライオンは非常に機嫌が悪く、とつじょ、うわおっぉおおおおと

ほえたりもした。メスライオンはというと、なんだか全てをあきらめたような顔そして

ごろり、と天井を見ていた。なんの因果でこの2頭は 信濃の城跡なんぞで

くらしているものか、、。いつも思うが彼らの前歴はあきらかではない。

(しらべてもないから)

 ちょうどやってきた掃除のおじさんに、「ここにはトラはいないんですか」と

きいてみたこともある。おじさんは、ホースでじゃあじゃあと水をまきながら

「死んだんだよ」とそっけなく言い放った。

 そういった具合で全てやる気のない雰囲気が ゆるくただよう、、不思議な世界。

それが 地方の動物園というものである。

そういえば山口にも

「秋吉台サファリパーク」というひなびた施設があって

そにはアフリカゾウがいた。

山口は、冬は結構寒いので、アフリカ用にできた体とつらいだろうなあ、、と

思いながらその日は、ゾウばかり見ていた。

すると。ゾウは係りのおじさんに耳になにかをつけてもらっている。

 あとで聞いてみると

ゾウは寒すぎて冬にはしもやけや ひび割れができるそうだ。

縫っていたのは、それを防止する油クリーム。

このゾウもどういった前歴をへて

こんな本州のはじっこまでやってきたのか、わからずじまいであったが

それでも、冬に耳をアカギレにして苦しむこともあるまい、、と思うと

なんだか安心である。

 日本の田舎には

こういった具合に思いもかけぬものが息をしているし

思いもかけぬものが 残っていたりする。だからまだまだそれを

みにいきたいのである。もちろん、もっと小さな動物園にも。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

海岸の宝物~館山

 関東の海は、あまり美しくはない。と思っている。

いや、海の水がきれいかどうかは私にはわからないのだが

砂浜のゴミがひどいのと、、なんだか砂の色と質が

私の生まれ育った日本海側の砂浜の白い砂と比べると

どうしても、、、抵抗があるのである。つまり

砂の目が粗いし、色も黒ずんでいる。

 しかし、ひとつだけ、日本海よりもすばらしい!と

つくづく思うのは太陽である。

特に沈んでいく夕日 その雄大さは

日本海でみるそれよりも

断然すばらしい、、と私は思う。

 昨日は、千葉は館山の須崎灯台近くの海岸で

ちょうどいいタイミング。Photo_5

まさに夕闇が、夜の闇にかわる直前の夕日です。

 浜辺で子供と宝探しをしながら じっくりと眺めました。

太陽は昇るときと

沈むときには、、、完全に神様の領域にあるように思います。

完全に人の手の届かない領域に。

Photo_6

 ちなみに浜辺の宝探し。

二枚貝の片割れや、Photo_7

片方だけのビーチサンダルや

黄色い野の花。

とげとげした不思議な植物など。Dsc00980 Dsc00984 Dsc00988

貝殻だけもらってきて

チビは自分の財布に入れています。

東京からわずか3時間弱で

この世界が広がっていることに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

犬の十戒

Photo_4

洋服を着せて
エステをさせるほどの溺愛はしないが
私、非常な犬好きである。
ただし、踏んづけたらすぐに死んでしまうのではないか??
という、杞憂から、
小型犬は苦手で近寄らない。

せいぜい柴犬以上の大きさの犬を好む。

今の住まいはマンションなので飼えてないが、
実家にはまだ
私がもらってきた
ラブラドールの「ごん」と
母が拾ってきた柴犬の「リリー」がいる。
(上の写真はごんである)

彼らは私の妹のように
老いた父と母の 話し相手であり
散歩仲間であり、
退屈しのぎであり、
世話焼き願望の矛先であり、、、つまりは
家族である。


こないだ母が電話してきて
「華子が ごんをもらってきて、ちょうど8年よ」という。
そして
「ごんも だいぶトシをとったけど
私も年をとったから、
どっちがさきに たおれるか競争やわ~」というような
ことを言っていた。

 まだ母が倒れそうにもないほど元気だという油断が
ある私は、
つい「ゴンがもし死んだら母はそれに
耐えられるかなあ」とぼんやりと考えてしまう。
ペットロス、という言葉があるけれど
まさにそうなりそうな母だからである。

 今月の雑誌「noblesse」にちょうど
「犬の十戒」というのが載っていた。犬から
飼い主へ向けたメッセージ。原文は英語だが作者は不詳。
それを
切り取って、明日、母に送ろうと思う。

~~~10のうち、いくつかを以下引用~~~
1、10年から15年しかない私の一生の中で
  少しでもあなたと離れていることが 私にはつらい。
  私を飼う前に それをわすれないでください」

7、たたく前に思い出してほしいのは
  私にはあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯が
  あるけれど、かまないようにしているということ

8、言うことを聞かない 頑固だ、怠け者だと叱る前に
  どうしてそうなったか 原因を考えてください。
   そんなとくは多分、食事をもらってなかったり
  暑い日中に長い間出されたり、もしくは
  そもそも老いて弱っているか、、

10、最後の時を迎えても そばにいて私を見送ってほしい。
  「見ているのがつらい」とか
  「私のいないところで逝かせてあげて」なんて
   いわないでほしい。
   あなたが そばにいるだけで 私は安らかでいられます。
    そして どうか忘れないで。
   私があなたを 愛しているということを

こうやってかいていると、
なんだか、、、私の遺書みたい。笑。

でもね、犬を飼ったことのあるひとには
これが 自分のわんちゃんの言葉として
きっと理解できると思う。

犬というのは基本的に
  悲しい目をしている。
そしてその悲しい目でいつも
いつも 飼い主だけを追っている。

おかあさん、「大丈夫。ゴンはまだ元気でしょ」、と
書いて封筒に一緒に入れておいた。

「ゴン」の部分を 「おかあさん」に置き換えて
ゴンにも同じ手紙を書きたいもんである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

好みの温泉

 もともと近所に「地元の人タダ」な共同浴場があるような小さい温泉があり
18歳で実家をでるまでは、ほぼ毎日、温泉に入っていたワタクシ。
温泉にはこだわりがあります。

 最近流行の「1泊がハワイにいけるようなお値段」の旅館も
もちろん雰囲気やお料理は
すばらしいと思うし、好きではありますが、
やはり「お湯」に重点をおくと、
そういうところは、やはりお湯が「やさしすぎる」と思ってます。

私がこれまで日本中をほっつき歩いて
混浴もものともせず(!)入ってきた中で、「!!」と思った温泉の共通点。
いくつかありますが、
中でも湯船のそばに「神棚がある」という点は見逃せない共通点です。

浴槽のそばに神棚があるということは、、
その温泉が古く、しかもその長年月の間、地元の方に
信仰の対象となるほど
愛されてきた、、、そういうことなのでしょう、きっと。

 いずれも、料金は「タダ」もしくは
高くても300円程度で
シャワーもなし、
張り紙で「石鹸シャンプー使用不可」とかかいてあるような、、
入ってるのは地元のおっさんか
おばはん、というのがお決まり。
ただし、この「神棚系」の浴場は源泉のすぐそばにあるのが
大部分なので
塩素消毒などしてないのが常。文字通りのかけながし、、で
お湯に、なんというか、、パワーがあるのです!

温泉療法には詳しくないですし
がんに効く、、とかいわれると「うそ~~」と思っちゃいますが
入った瞬間にうが~~~~っと
毛穴に「よい成分」がしみこむしみこむような
そういう気持ち。まさに
「温泉の神様、ありがとう!」なお湯、ありますよね。。

 お写真は 福島の岳温泉。今年の春に行きました。

Photo_3
本当は「神棚系」崇拝の私としては
以前、よく行っていた木賊温泉あたりに行きたかったのですが、
ここは川っぺりの浴場が「混浴」なんですよね~~~。
子供を生む前は
それでもなんとかかんとか、隠しつつじゃぼん!と入ってましたが
子供がいっしょだと、、子供の手なんかひいてると
まあ、丸見え!ですものね、、自分のためにも周囲の紳士の皆様のためにも
今回は断念。
で、岳温泉の酸性湯を
堪能してきました。

ここは神棚もない、普通の旅館のお風呂ですが
クヌギ林の中に設けられた湯船。
金曜日は誰もいなくて
囲いもなにもない湯船にすっぱだかで入っていると
なんか、、熊でも出てきそうで恐ろしい気もしましたが、、、
う~ん、なんともいい気分でした~~~。
お湯は草津と同じ酸性だそうです。

さて次回はどこにいこうかしら。
お勧めがあればおしえてくださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ばくちの木(萩市)

 山陰の小京都、、なんていわれる萩市。
山口県出身の私も毎年のように訪れて飽きない、
すてきな町です。(住むのは躊躇するけど、、)
最近は温泉もでて、ますますいい感じ。

毎年、実家のある下関から萩にいくときには
191号線という国道をぐんぐん北上していくのですが
(およそ2時間かかります)、
もうすぐ萩につく、、というときに、
左手に、小さな看板があるのが、前々から
気になっていました。

「バクチノキ」と白地にくろぐろと書いてある
手書きの看板。

ここ数年、気になってしょうがなかったけれど素通りしていました。
が、今年は、覚えていて、「たしかめてやる!」という
意欲にもえていました。ばかだけど。

で、先月いったときに
その看板の示す方向に左折。
たしかめてきました。

バクチノキ→ばくちの木。
いや、文字通りそういう名前の大きな木が立っていました。
俗称ではなくて、正式な学名です!

県の天然記念物かなにかに指定されているそうで
その不思議な名前のいわれが、現地に書かれていました。

なんと、このばくちの木、
成長するにしたがって木の肌がどんどんはがれてくる
性質なのだとか。
はがれたあとは、赤い樹皮がむきだしに。
その様子が
ばくちに負けて、身包みはがされ赤裸で放り出される
ばくち打ちを彷彿とさせるから、、だとか!
実際に江戸時代には、この木、
ばくち打ちたちの信仰の対象にもなっていたそうな。。
おもしろい!
日本人のネーミングセンスにはまったくもって
感服いたします。。萩にいく機会のあるかた、
お車でしたらぜひ行ってみてくださいね。

とろこで、私は博打はきらい。
そして数ある博打の中でも、パチンコがだいきらい。
パチンコ屋を見るのもいやなくらい、嫌い。
あのけばけばしさ。うるささもさることながら、
いい年をした大人が
あのばかばかしいゲームのために時間をさいて
漫画チックな機械をさわってる、しかも
それでもうけようとしている、、というあほっぽさ。
パチンコ屋に出入りしている、ときいただけで
その人のこと、信用できなくなったりする、、。

と、いうわけで、ありえないけど
私が政府のエネルギー問題の担当者になったら、、
クールビズなんかより、
日本全国のパチンコ屋さんの営業時間を
減らす!それだけであの無駄なきらきらした電飾や
冷房やらに費やされている電力が節約できると思うんですけど、、どうでしょ。
あ、でも、怖い世界の人が経営してるらしいからね、、
無理かな。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山王日枝神社

Dsc00953 今日の山王日枝神社です。

この神社は、我が家から一番近い神社で、ほぼ毎日のように

お参りしています。

もともと幕府の天体観測所があった場所だということで、

小高い丘の上に立っている由緒ある神社。

ここ、都内でも有数のパワースポットらしく、、うん、確かに毎回、

立ち込める、気、のようなものを感じます。

今日は、雨模様でしたが、茶道の家元による「献茶式」なる行事が行われていました。

毎年の恒例行事のようですが、行ってみるのは初めて。

 お友達で茶道をたしなむ方から、参加しますと

ご連絡をいただいていたのでわくわくと出かけました!

 家元の男性が ご神前でお手前を披露される、、ということで

覗いてみてびっくり!拝殿の中、ところせましと、、、和装姿の女性がぎっしり!

Dsc00958 Dsc00957

みなさん、このしとしと降る雨にもめげず、、

むんむんと立ち込める湿気にも

耐え、、、熱心に家元氏の一挙一動をみつめておられました。さすが

茶の心を知る人は違うわ~などと思う私は、お手前よりもその女性たちの

お着物が気になってしょうがなく、、「む、あれは高そう!」「、、、あの帯は

ないでしょ~」などと俗っぽい妄想の世界へ没入。。

結局お友達を発見もできず、帰りました。やれやれ、、、。

 それにしても

神社には雨が、実に よく似合います。

雨で杜の緑や 拝殿の赤、木々の幹の黒、、などが鮮やかさをまし、

ぐっと、つややかな印象。

お供えの 酒樽たちも、いつにもまして 美しい。

Dsc00959 Dsc00962

Dsc00961_1

ちなみにここの神社、お猿さんが守り神です。

今日は雨の中、おいしそうな、バナナをお持ちでした。かわいい。

Dsc00954

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子連れの旅

016

 幼い子供がいると

どうしても行動範囲は狭くなります。いろいろと

大変なので旅などもってのほか!という

方も多いでしょう。

 子供がいわゆる『足弱』であることと、

大人に比べて体調が変化しやすいということ、

そして子供の喜びの対象が大人のそれと違う、というのが

原因でしょう。

 わたしは3年半前に男の子を生みましたが、最初はやはり

上に書いたような理由から、『子供をあちこち引き回してはならない』という

呪縛にかかっていました。旅行はおろか、、散歩だっておっかなびっくり。

電車に乗るなんてもってのほか!!という状況で半年ほど。

でも、、、私には無理だった!!

だって、常にどこかにいきたいんだもん~~~!!という全くもって

勝手な理由で、でも、結構真剣に『傾向と対策』をたてて

出かけました、子連れ旅!

3年半で海外7回、国内旅行は小旅行を含めるとおそらく、、、60回は

行っています。

・・・結果。

結構ね、大丈夫でしたよ。

以下の注意さえ守れば。

1、予定を変える勇気をもつ

  子供はすぐに体調が変わる。突然の発熱などもあり。

  なので、運悪くそうなった場合は、いや、そうなりそうな気配を

  感じた時点で、、潔く旅を「やめる」。

 切符の手配も宿の手配も水の泡、、、キャンセル料もかかる!でも

 やめましょう!これが一番。

 

2、子供はよく寝るのだと心得る

 大人が観光した居場所、たとえば名所旧跡などというものは

 子供にとってはなんの面白みもない場所であると心得る。大概

そういう場所にいくと子供は、つまらなくなって『早く帰る~~』などと言い出す。

ここまではしょうがない。この先、この子供の機嫌が悪化するかどうか、、

これはその子供が『よく寝ているかどうか』にかかっている。

寝不足ほど子供を不機嫌にするものはない。

 私の場合、行きたい場所を1箇所削ってでも、宿や車内で

子供の『お昼ねタイム』を想定してスケジュールを立てている。

理想は移動中に車内で眠ってくれること、、だけど、そうも行かないときは

早めにチェックインもやむをえない。

3、子供の楽しみもつくる

だいたいが、旅行などというものは子供が自分で発案するわけもないので

多くの場合、『親の勝手』である。寺も田んぼも、子供にとってはそうそう

おもしろくもないものだ。

でも、親が自分の勝手で子供を連れてまで旅にでているのだと心得る。

自分が楽しむためには、、、そう、子供にも子供の楽しみを与えてあげること、

これが大事である。

うちの場合、車で回っているときは、2時間に1回は子供を公園などで

遊ばせる。走らせる。日本なら、たいがいどんな田舎町にも公園のひとつや

ふたつあるものだ。そういう場所に停車して、親は休憩、子供は大はしゃぎ。

多少時間は遅れるが、これくらいの余裕がないと、子連れ旅はつらい。

4.嫌われないように上手に母をする

特に団体旅行の場合、朝の集合時に子連れで現れると、、、周囲の目は冷たい。

「!げ、、子連れ、、。移動の車内でうるさいだろうなあ、、、」と無言の目が語る。

しかしそれにめげてはならない。

人々が憎むのは「うるさい子供」よりもむしろ「それを放置する親」である。

ちゃんとしかって、ちゃんと子供を大事にして、、あたりまえのことをやっていれば

旅の後半には、あなたの子供は、その団体のアイドルである!

うちの子などこれで、ものすごく得をしている。お菓子はもらうわ、だっこは

してもらうわ、ほめてもらうわ、、、で大喜び。

いろいろ書きましたが重要なのはやはり

子連れ旅行は究極には『親のわがまま』であるからして、、子供が

楽しめるようにする努力くらいは、やって当たり前だということか!

ちなみに、、、子連れ旅、なれると大変ではありませんよ。

むしろたのしい。

なぜなら、、、ご存知のとおり、子供というのは

見知らぬもの同士の『会話のきっかけ』をつくってくれるものだから。

旅に出ましょう!子連れでも!

お写真は、、、我が家のチビ(3歳)の旅支度。

最小限のにもつ(おかしなど)は自分でしょえるようになりました。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

会津・浜町食堂

 日本を旅していて

たまに『ブーム』ほどむごいものはないなあ、、、と思うことがある。

人物であれ、食べ物であれ

ばっと火のついたように人気になってしまうと

そのゆかりの土地には、それに関する施設やお店が乱立し

いっときの間は、大型観光バスに運ばれてくる観光客で賑わう。

 もちろん私も1度はそういう賑わいの様子を見に行く。いちおう、

その施設にも入ってみるし、食べ物であれば食べてみる。

これはこれで、ささやかに楽しい。

でも、もっと楽しいのは、、、その『ブーム後』にそこに行ってみることである。

 たとえば、少し前に『ご当地ラーメンブーム』というのがあった。

尾道ラーメン、喜多方ラーメン、、、、いろいろありましたね。

特に喜多方は東京から比較的近いということもあって

そのブームの最中は、『週末、喜多方までラーメン食べにいってきた』などと

いう人もいたし、現地はもう、それは、、、、すごい騒ぎだった。

連日詰め寄せる観光客。もともと町にあった老舗のラーメン屋に入りきれない客を

狙って、新しい店もたくさんできた。東京に支店を出す店もあったほどだ。

 この春。久しぶりで喜多方に行ってきた。

いやはや、、、ラーメンブーム、いまは昔、である。

日曜日だというのに人影はまばら。

商店街にいくつもできた新しいラーメン屋の多くはつぶれ、

『貸し店舗』の看板が。

 驚きながら町を一周して、確認したこと。

ブームが去った後でも残っているのは結局、

『まこと食堂』や『あべ食堂』などの老舗であり、その老舗にだけは

この閑散とした町には不似合いな『行列』がいまだに

できるのだということである。

 結局、この日は、列に並ぶのがおっくうなので、まこと食堂をあきらめ、

商店街の老舗「浜町食堂」に。004

あいもかわらずすごい量のチャーシューと格闘しつつ、、、

変革とは変わらざることなり、、という言葉を思い出していたのでした。

ブームのあとには

結局、ブーム前からあった「ほんもの」が残る。きっとそういうことだと思うのです。

ちなみにここまで書いといてナンですが

私、個人的にはラーメンは、とんこつだ~!!と思っております。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

山田風太郎育児日記

 去年の7月に、山田風太郎さんの日記が出版された。
山田さんは、(
忍術モノの小説で著名な、小説家である。(大好き!!)
エッセイも得手である。

山田さんは2001年になくなっているので
なんでいまごろ出版??と思ったのだけど、
読んでみて、ものすごく感動した。名作である。

この日記は、山田さんが
長女の佳織さんの生まれたときにつけはじめたもので、
佳織さんが12歳のときまでの記録。
山田さんは、これをこっそり内緒でつけていて、
佳織さんが嫁ぐときに
清書して、手渡してくれたのだという。

女性(母)が書いた育児日記と違って
実に客観的で淡々としている。
どこかさめた視点で、でもまぎれもない愛をもって
子供たちに接する姿。

子供がいるひとは自分自身の子育てと必ずだぶるだろうし、
そうではない人は、自分と親との経験を
必ず振り返ってしまうだろうな、、と思う、名日記である。

少し前に買って、
最近、なんども読んでしまうくだりがある。

1961年、1月。
このころ、佳織さんは、お母さんのたっての希望で
「学芸大付属小学校」を受験させられるはめになり、
幼稚園児ながら、テストを受けたり面接の練習を
したりしている。
山田さんは、だまっているが、内心、
「ばかばかしい」と思ってながめている。

で、受験がせまった、1月20日の日記に、以下のようにある。

「よい学校にいれてやるというのは
子供にクレヨンを与えるに似ている。
親としてはなるべく良いクレヨンを数多く
与えてやるのが、義務であろう。
しかし、それをもって、人生の絵を描くのは
ついに子供の天性の技量である」

佳織さんは、受験に失敗。普通の公立小学校にはいる。

そしてそのほぼ1年後の12月23日の日記。

「子供というのもは
存在するだけで、親はその報酬を得ている。
 テーブルの向こうに小さな赤い顔を並べて飯をくっている風景。
午後になると、佳織は学校から、
夕方になると知樹(長男)は外から
「タダイマー」と声を張り上げて帰ってくる声。
それで充分である」

何度も読んでは、チビのことを考え、
自分と父母の様子を思い出す。
父母の与えてくれたクレヨンは、住んでいた地域柄、
種類と質は、そうそういいものではなかった。

母などは、中学、高校とあがるにつれて
「不便なところだからごめんね」などと
選択肢のなさを嘆いていた。なにしろ、幼稚園は
町にひとつ。小学校ももちろん一つ。中学は
選択肢は2つ。という場所だったので
都会育ちの母にはもどかしかったに違いない。
むろん、本人は、そんなことどうでもよく、
ちっともこまってはいなかったが、、。

で、そのクレヨンでどうにかこうにか
絵を描いて人生をおくってきた娘である私は
くるくると転がって、今の状態におちつき、
驚くかな、いまや
今度は自分が息子にクレヨンを与えねばならぬ時期に
来てしまった。

うちのオチビも4月から幼稚園に行くようになったのだ。

正直、いろいろと悩んだが結局普通に近くの公立に行かせている。

周囲は私立にいかせるひとも
インターナショナルなんとか、に行かせるひともいて
たまに、こんなに安直にしてていいのかな?などと
思うが、
我が家の風太郎はやはり、父親らしく客観的で
「気持ちの悪い特権意識のある幼稚園児はいらん」という。

最初はクレヨンの色はすくなくても
それなりの絵はかけるだろう。
そう信じて、よし、普通に近所にいってもらおう、
すくなくとも中学までは。高校からは好きなクレヨンの
色を自分で選べばよい。

と、実に楽な道を選んでしまう母を、後年になって
息子よ、うらまないでね。
親であるわれわれは、
息子のほしがるクレヨンの色を理解する心と、
クレヨンを与えられる財力を
淡々と培うのみ。

息子よ!
あとは、おまえの技量だ!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

日比谷鉄棒クラブ

 日比谷公園、いつもは
児童公園で遊んでいます。
そのそばに
「吊り輪」や背の高い鉄棒があることは
しっていたのだけど、
まだシンには無理なので
そこに行くこともなかった。

が。
その日はたまたま、そこに行ってみた。

小さなベンチがあったので
座ってシンとお茶を飲んでいた。

おじさんが一人、歩いてやってきて隣のベンチに
荷物を置いた。

と!!
いきなりネクタイを外し、シャツも脱ぎ、、、
上半身裸になりはじめるではないか!!

えええ~~と思いつつ目で追っていると
今度は小さな缶を取り出した。
中から白い粉を出して手にまぶしている。。

こうやってそのおじさんは
下半身は普通のスーツのスラックス、
上半身裸。
革靴、、という最高にへんてこりんな格好で
助走をはじめた。

私の目はコレ以上ないくらいまん丸に見開かれる。。

おじさんは、鉄棒の下まで来ると軽やかに
ジャンプ!
そしてぐるぐると「大車輪」をしはじめたのである。
鉄棒をぐるぐるとまわる、あの大車輪。
体操の選手か
サーカスか、、という見事な大車輪。

言葉を失った私が
ふとみると、このおじさんには仲間がいた!
みな現れたときには
スーツ姿なのだが
みな、おもむろに白昼の公園で
シャツをぬぎはじめ、、、白い粉をてにはたき、、
助走を開始。。

なんなんだ、この集団は!!!

最初、中国人かと思ったが、そうではないらしい。
みな、挨拶もそこそこに
ぐるぐると大車輪や吊り輪にいそしむ。
そして合間に休憩しつつ
お弁当を食べたりしている。

うずうずと記者時代の質問攻め根性が湧き出て、、
思い切って
「あのう、いったいみなさんは
どういう方なのですか。。。?」と
聞いてみた。

最初にきたおじさんに話しかけてみたのである。

おじさん、にっこりと笑って、
「日比谷鉄棒クラブです」という。

鉄棒クラブ!!しらなかった~~!!
しかもこのクラブ、歴史が35年以上あるというのだから
さらに驚く!
そしてみな近くの霞ヶ関あたりの公務員か
大学教授、投資顧問業などであり、
特に学生時代に体操部だったとかそういうことでは
ないのだというから、おどろき!
私が話した、Tさんというおじさんは
厚生労働省の方で、
通りがかりにこのクラブを見て、自分もなんとなく
「鉄棒がやりたくて、、」やってみたら
意外とできたので、会員になったそうな。。

そして私はしらなかったのだけど、
このクラブ、日比谷公園名物らしくて
ギャラリーもたくさんいた。

なんてことないおじさんが
ふらりとやってきて、
いきなりシャツを脱ぎ始め、上半身裸になると、、
むきむきの胸板が現れ、
おじさんは走り出す。
そして大車輪をはじめる。。

いや、この驚き、みなさんにも
ぜひ味わっていただきたい!!

お時間のある方は平日
お昼12時過ぎに日比谷公園に!!
すごいです、日本のおじさん。。

ちなみに私も勧誘されましたが
無理ですぅ、、と断りました。
大車輪も
「上半身裸」もできませんからして・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夜の梅

 日本人ってすごいな~と思うことがよくある。
今日は赤坂の虎屋で、
羊羹を買っているときにそう思った。

羊羹の名前である。
「夜の梅」。
羊羹を切ったときに、切り口の小豆が
しろっぽく浮き上がってみえる。
それを梅の花に、
まわりの黒い部分を、夜の闇にたとえたというわけである。

虎屋のHPの説明によると
この「夜の梅」の商品名を虎屋はなんと1600年代の終わりから
使っていたということで、
やはり、日本人のセンスってすごいなあ、、と
感心するのである。

たとえば英名の御菓子で、こんなアジのある、
風流なものってあるのかしら、と思う。

鳥の名前にも同じようなことを思ったことがある。
たとえば、「みやこどり」。
赤いくちばしに、黒と白の羽という
非常に華やかな色彩の鳥で、なるほど「みやこ」というのが
ぴったりのネーミングである。
が、この鳥の英名は、「oyster catcher」。要するに
「牡蠣等の貝類をとる鳥」ってことであろうか。。
確かに、みやこどり、の主食は牡蠣などの貝類ですが、、
それってあまりにそのまんまなのでは、、。

ともあれ、夜の梅。
なんてすてきなネーミング。
ずっしりと重い羊羹の包みを抱えながら
なんだか幸せな気分であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シン、文字を書く

 我が家のシンは
三歳になってからというもの
「ひらがな」に
非常な興味をもつようになった。

ためしに
「しん」という名前の文字を教えてみたところ
すぐに覚えたので
母(私)は調子に乗って
12文字の平仮名をおしえてみた。

たとえば「し」と「つ」とか
「こ」と「り」とか
どこか形状の似ている平仮名12文字。

最近では
すっかり覚えて
いたずらがきに
へたくそながら
12文字のひらがなを(いずれも簡単なもの)を
書けるようになった。


まずわたしが、「し」とか文字を書いて
シンがそれをなぞり、
書き写す、、というのを
午前中、ほんの15分くらい
やっているだけだけど、
シンにとっては
町でみかける文字たちの
一部分が読めるようになってうれしい様子。

週末遊びに行った公園でも
「し」という形の木の枝を
砂の上に並べて
「し!!!」と報告していた。

親の私とは言えば、、、
最近は、めっきり
文字を手で書く機会が減った。

お礼状や、
四季おりおりの
ご挨拶状で手紙を書く以外は
PCを使わない文章というのは
皆無に等しい。

エッセイも
この日記も
万が一、「原稿用紙に鉛筆で書け!」と
いわれると、、、、
すごく困る。今の数十倍、体力を使う。

けれどシンは
覚えたてほやほやの
「し」や「つ」を強い筆圧で
かいてゆく。
母の書いた「し」や「つ」を
お手本に。
文字を写し取る、その単純な喜びに
あふれている。

柳田国男をして
「日本人の限界」といわししめた
明治時代の天才、
南方熊楠は
小学生からすぐれた書物の「かきうつし」をはじめ、
ロンドン・オックスフォード時代は
徳川史15巻、吾妻鏡50数巻を
それぞれ2ヶ月かけて
「かきうつす」など
とにかく、自分の手で「書く」ことに
知の原点を見出していた。

読む。これが第一歩。
それを自分の手で文字としてかき、
=脳みそに刻み込む。
この作業が実は
なにかを覚えたり
自分のものにすることの
第一歩だということだ。

思えば
受験も就職試験も
重要な場面は
自分の字で自分を表現し、
自分の意見を書いた。

パソコンでは
無味乾燥になるこの文字も
自分で書くと
自分の味と
自分の世界が出る。

シンは今日も
「し」も「ん」も
のびのびと
書いている。へたくそだけど
収まりきらない勢いで。

書くこと、脳にきざみつけること
自分の思いで
人になにかを訴えること、、

その手段をこの「ひらがな」に託して。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

平河天満宮

Dsc00913

 我が家からも程近い、千代田区平河町の小さな神社、平河天満宮です。

数年前にこの近くに住むようになってから、ことあるごとに

お参りしています。

 文字通り『ビルの谷間』にすっぽり収まってしまったかのような

こじんまりとした神社ですが、今までおまいりした都内の神社の中では

私は一番好き。

なんというか、、落ち着くのです。そして

なんだかすごく安定した気持ちで、家に帰ることができる気がします。

これが いわゆるパワースポットというのかもしれませんが

詳しいことはわからず。

 わかっているのはこの神社が 江戸時代以前、まだこの東京の地を

大田道灌さんが納めていた時代から 祭られている神社だということ。

なんでも、道灌さんの夢の中に菅原道真さんが でてきたというので

神社を作ってお祭りになったそうです。Dsc00919jpgppc

だからかな、、境内には狛犬ならぬ、、狛牛?があちこちに。

Dsc00914jpgppc

なんとも 飄々とした表情で 鎮座しています。丸っこいフォルムが

チャーミング!

その1頭が今日は、満開の青あじさいをしょっていました。

う~ん、なんてかわいいらしいんでしょう!

Dsc00915

 ところで

神社というのは、そもそも『祈願』するところではなくて

「誓いを立てる」場所だといわれています。

神様に「おねがい~!」といきなり言うのではなくて

『○○を成し遂げたいので、私は○○につとめます」というように

念じるのがよいとか。

神は 自らがんばる人しか 救ってくれないということか??

Dsc00917jpgppc

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小諸城址の桜

今年の春の名残に

今年私が見た、一番の 桜、ご紹介します。

いや、正確にいうと、
一番いいときに見られた、桜。
桜はタイミングですので
その日、たまたまこの桜が
「この春一番」だったということでしょうか。
Photo_1

長野は小諸城址の
「小諸八重紅シダレ」。

この小諸周辺に特有の品種らしいですよ。

お写真のは
小諸城址の石垣のすぐそばにうわってある、
かなりの古木。
たまたま私が行った、4月の29日に
ものすごい「気」を吐き出しつつ、満開である。

黒く乾いた感じの、老女のような木肌から
うそのように
みずみずしい桜色。

この対比が実に美しかった。

咲いている場所もいい。
見事な石垣のそばである。
Photo_2
夫が古城マニアで
あちこち連れ歩かれてはいるが、
石垣では
私はここが一番好き。絶壁なわけではないので
劇的ではないけど
なんとなく「ひと」の匂いが残っているような。

この桜はやはり
この石垣と一緒にこのふるい城の
あれやこれやと、夢のアト、、をみていたからこそ、の
桜である。

今は、
南米やオーストラリアの花が
平気で日本のの田舎町にも
植わっている時代だが
やはり植物には
その植生にあった、生えていてしかるべき、な
場所というものがある。

ソメイヨシノは
そういう意味で
東京が一番よく似合う。

さて。
来年はどういう桜の
「一番の日」に出会えるか。
その日までは
どうか私も息をしていますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三日遅れの便りを載せて♪

このブログのタイトルに使わせていただいた

『三日遅れの便りを載せて・・』。

これ、私の大好きな曲『アンコツバキは恋の花』の

出だしの一節です。

お若い方だとご存じないかもしれないので

続きを引用させていただきますと、、、

三日おくれの 便りをのせて

船が行く行く 波浮港

いくら好きでも あなたは遠い

波の彼方へ いったきり

あんこ便りは あんこ便りはあ・・・・あ 片便り」となるわけです。

(作詞 星野哲郎さん)

2番、3番もあるのですが

大島の島娘が 都からきた男に惚れ、捨てられ

会えない身を嘆くという内容。う~ん、名曲だわ!!

 でも、最近この曲を聴くたびに、、、ああ、いい歌(詞)って

もはやなかなか生まれないだろうなあ、、、といつも思います。

だって、今の時代、電話はもちろん携帯もEMAILもありますから

3日に一度やってくる船を待ち、その船で運ばれてくる手紙を

待ちわびることもないでしょうし、、そもそも「こがれるきもち」を

感じることも少ないでしょうから。

携帯の電波さえ届けばすぐに誰とでも連絡が取れ、

ほしいものもワンクリックで翌日配達。Emailだといいにくいこと、伝えづらいことも

意外とさらりといえてしまったりもしますから、、、

「長い黒髪 ぷっつり切って 帰るかもめに 託したや」

なんて図は想像もできないでしょうねえ、、、。

 この大島もそうですが 今は

日本中たいがいどこに旅しても大概は、便利です。快適です。

もちろん、局地的にそうではない場所もありますが

そういう場所ですら、車で小一時間もいけば、便利な町にでられますから。

そしてさらに、おぞましいことに

どこに行っても、町の景色というのが、、なんというか

ますます似通った、同じような、画一化された景色になってきているのも

気になるところ。

同じような大手チェーン店が立ち並ぶバイパス沿いなんぞを走っていますと

いったいここが、茨城なのか福島なのかわからなくなるほどですから

いやになる。

 こういう時代ですから、なかなかいい詩もうまれないだろうし

「どっかでみたことある絵葉書的風景」以外を求めるとなると、

満足いく旅というのも なかなかしづらくなっていくように思います。

でも、めげずに 旅に出て

『船がゆくゆく波浮港」のような、詩のある場所を探したいと思うのです。

♪三日遅れの便りを載せて~と歌いながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勿来の関

019

 今年の4月。

福島はいわき市の『勿来の関』の桜です。

 

八幡太郎義家の

「吹く風を 勿来の関とおもへども

道を瀬に散る 山桜かな」という有名な歌がありますが

そおとおり、ソメイヨシノよりはやや遅れて

山桜が静かな花をつけていました。

 実はこの『勿来』という言葉、実際には地名として使われたことは

一度もなかったそうです。

本来はずっと「菊多関」と呼ばれていたとか。

蝦夷征伐の本拠地(蝦夷のこれ以上の南下を防いだ関所)という土地柄と

しては、勿来(こないでほしい)のほうが、

都合がよかったのか、和歌などで盛んに詠われ、

本来の地名よりも定着してしまったのだとか。

 いずれにせよ、義家や坂上田村麻呂の活躍した荒々しい場所、、という

面影は、もう、まったくない、現在の勿来。人影もない関所跡には

ソメイヨシノよりも、山桜がとてもよく似合います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神様の鏡

 以前、

インドネシア・バリ島にて

それはそれはすばらしい、棚田を見ました。

棚田というのはもともと

狭い土地で少しでも収穫量を上げよう、、という人々の

切なる願いでできたもの。

その熱意に圧倒されるのはもちろんですが、

それ以外に、なんだか不思議な、神々しさを感じる。

 バリのガイドさんに聞いてみると

「地元の人はね、棚田のことを『神様の階段』っていうのよ」と

教えてくれた。なるほど、、神様の場所にまで届きそうな、、、階段だった。

だとしたら、、これはさしずめ、

神様の鏡。Photo

今年の春、秋田の山間、ほとんど青森に近いある村にて。

田植え前、水を張った田に

遅く咲いた山桜がうつって、、、なんともきれい。

田んぼは一年を通じて

いつもそれぞれにうつくしい。けれど

一番はやはり、この時期の、水張り田かな。

お月様が映れば、いわゆる『田毎の月』。田んぼ一枚にひとつずつの月。

カエルが飛び込めば

波紋に揺れる空。

神様もうっかりお姿を映してしまいそうな、鏡である。

年中、あちこちに旅をしていろんなものを見てくるけれど

実はこの水張り田ほど

美しく、面白いものっていうのも、、、実は

そうそう見つからないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エジプトその3

                                                        Dsc00727jpgppc  太宰治は
御坂峠からみた富士山があまりに完璧だったためDsc00720jpgppc

「風呂屋のタイル画のようだ。あまりに注文どおりの景色でみていてなんだか気恥ずかしい」といっDsc00703jpgppcたとか。

そんなことばを
思い出した、今回のピラミッド。

もちろん実際に見たのは初めて。でも
あまりにも何度も何度もテレビや雑誌で見ていたためか
妙な『既視感』がある。
みたことないのにね。

そして
その存在もその魅力も、なんだかわからないけど
漂っている『パワー』のようなものも、、すべてが
そばによると吹き飛ばされそうなくらいにすごいのに、、、。

写真に撮ると
なんともはや。
あっけらかん!としたただの観光写真となってしまう。

あの「すごいかんじ」はつたわらない。
完璧すぎるものの
特徴か。

ちなみに
このスフィンクス。
劣化防止のため通常は足元まで立ち入り禁止です。
国の決まり。

でも、、なんで私がこんな足元までいって
足にほおずりできたか??
これはいわずもがな。

日本のお高いツアー料金には
門兵のみなさんへの
袖の下代も
しっかりと
含まれているのでした、、。

シン(我が家のオチビ)、エジプトでは
地面を這う蟻に夢中で
何匹もつかまえようとしていました。
というか、殺していました。
ピラミッドにも上った3歳児。
ピラミッドには何の興味もなし。あたりまえか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下関のしおから屋

わがふるさと下関の魚市場にあるYさんというお店。

実に不思議なお店で、
狭い間口のお店にはほとんど何も置いてありません。
乾物のたぐい、天草とかわかめとかがぽつり、ぽつり、、で
あとは大きな冷蔵庫がどん!とおいてあって、
中に作業場がある。
で、おじいさんが、ちょこなん、と座っている。

昨日.
このY商店にお願いしていた、待望の塩辛ちゃんが
届きました~~。今回おねがいしたのは10本。
ぎゃ~~~!!とばかりに開封し
さっそく、白ご飯にのっけていただきました。
しょっぱい党としては
感涙のしょっぱさ。おいしさ。体が
ほぐれてくるおいしさである。

実はY商店、
こういう塩辛とか、辛子明太子とか
うにの瓶詰めだとかいう水産加工品を
つくっているのですが、
なにせおじいさんと息子さんとその奥さん、という
小規模なので
「注文制」なの。塩辛も明太もウニも全部そう。
作りおき、というものがない。

たとえば、私が
「塩辛を10本、おねがいします」と電話をする。
おくさんが出てきて
「味はどうするの?」と聞いてくる。
で、私が「しょっぱめでお願いします」とか
「お年寄りに差し上げるので、イカを小さめにきってください」とか
頼めるのである!
で、「じゃあ、来週の火曜日までにつくっとくから。」とか
言われて、電話修了。
火曜日に母にとりにいってもらって、
クロネコヤマトでおくってもらう、というシステム。

明太子も、
「からしたっぷりめ」とか
「子供が食べるので辛さひかえめで」とか
たのむ。
塩鮭も塩の加減をお願いできる。

考えようによっては、客に迎合しているだけだと
思われそうだけど
やはり独特のあじつけがあって、どれも
とてもおいしい。

おじいさんの作品であるこれらの商品は、
イカにしてもなんにしても、
同じ市場の中の親戚や友人たちから
材料を仕入れているそうで、どれも
もうしわけなくなるほど、、安い!

うちは、祖父母の代からお世話になっているのと、
商売柄大量に買うので
なんと、、
この「高級塩辛」、(「高級」とか自分でいっておきながら!!)
なんと1瓶 150円でわけてくださる。

おじいさんが、イカをしいれてきて、調理して
瓶につめて、、という労力やら
瓶の価格やらを考えると
気の毒になる。

で、おじいさんに毎回、母が
「もうちょっと御代をあげてください」と頼むらしいのだが
「いやいや、もうかっちょるから」と言うらしい。
デパートやらにおろす際はもっと高価にしているから
市場で買ってくれる人には安くしてる、というのだ。
 また作り置きがないから損しないんだって。なるほど。

 さっきお昼にいただきながら
150円でほかに何ができるかな~と
いろいろと考える。
150円で塩辛1瓶に匹敵する幸せをもたらしてくれるものって
そうそう、ないなあ、やはり。

値段と中身。
かみ合わないものも世の中にはたくさんある。
ねがわくば、Y商店のおじさん、
長生きしてね、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エジプトその2

この旅では

エジプト→ギリシャ、、と回ったのだけど、、不思議とギリシャの記憶が薄い。

Dsc00683jpgppc それはおそらく、、、エジプトが、いや、エジプト人が強烈過ぎたからに

他なるまい。

まず、、これは国民性なのか、それとも
私が出会った人々がたまたま全員、「陽気」だったのか、、理由はわかりませんが
みな、こぞって話しかけてくるんですね~。これが。


商売人はもちろん、町ですれ違う男の人すべてがはなしかけてくる。
(女の人は宗教的な理由なのか、、はなしかけてこない)

で、なにが面白いって、その話しかけてくるときの、フレーズ。

オットには、「ブシ!ブシ!」という人が多かった。
オットが立ち止まると
うわ~~~っとおっさんが寄ってきて
「ブシ!ブシ!」と連呼。
最初、「ブシ」というエジプト語があるのか?と思ったのだけど、、
どうやら「武士」である、ということに気づいて大爆笑。
おおわが夫は メタボリックながらもブシであったか!

ほかには、どういうわけか、
「ヤマモトヤマ!」という掛け声も、エジプト人のお得意であった・・。
誰が教えたんでしょうか、、これって、海苔のブランド名ですよね??
でも、あまりに「ヤマモトヤマ!」「ヤマモトヤマ!」と連呼されるので
わがオットながら、そのメタボリック腹とあいまって、

「ヤマモトヤマ・山本山」という力士に見えてきます・・・


そして私、、、。サングラスをかけて必死に目が合わないようにしているのに
まったくお構いなしに

話しかけてくるエジプト人のおっさんたち。
そのフレーズたるや、、、もう、古すぎます!!

一番多かったのが
「ヤマグチモモエ!」「ヤマグチモモエ!」
ピラミッドに行っても
「ヤマグチモモエ!」
市場に行っても
「ヤマグチモモエ!」
イスラム寺院にいっても
「ヤマグチモモエ!」

おかげで、その日、一日ツアーで一緒だったJTBのみなさんにまで
夕食のころには
「モモエちゃん」呼ばわりされる始末である・・・。

しかもウワサどおりエジプト人は
日本女性に非常になれなれしい。見ていると白人女性や
中国の女性らにはそんなことはしてこないが
私のような日本人女性は 本当にみくびられているのか、
いろんなちょっかいをかけてきます。


 ホテルの朝食でも
暖かいお料理を取ろうと、ビュッフェ代の容器を明けようとすると
??蓋がとれない。顔をあげると
コックさんらしきエジプト人がウィンクをしてきて
私の手を握るではないか!! うえ~~~。逃げました。

 博物館では最初に荷物検査があったのだけど
私の荷物だけ、機械から出てこない。


で、??と思って機械を覗くとベルトコンベアを手で押さえ
荷物が流れないようにせき止めているあほオトコ(係員)が、、、ウィンク。
おえ~~。しかも仕事を放り出して
至近距離まで寄ってきて「館内を案内してあげようか?」という。
あんたが、この持ち場を離れたら、荷物検査はどうするんだ、エジプト人よ、、


きわめつきは、、
帰りのエジプト航空。

カイロ空港にて。
具合の悪かった私のために
オットは席をアップグレードをしてくれようとしました。

で、カウンターでエジプト人のおじさん係員に
「アップグレードっていくら?」と聞いたところ、、
日本円で
75万円という法外なことをいってきました。
3人だと、200万超えちゃう。

ので、私が「そんなに払うんだったらがまんする~」と言ったところ、
カウンターの中から
「じゃあ、1人30万円でいい」と、いきなりすごい値下げを宣言!

でも、まあ、結局、我慢しようというので
立ち去ろうとすると、、
立ち上がったおじさん、
「10万円でいい!」と叫ぶ。

で、いよいようさんくさいので
大笑いしてそこを立ち去ったのだけど、、、

その後、パスポートコントロールも終わり
いざ飛行機に乗り込もうとすると、あの制服姿のおじさんが
そこにきているではないか!
それで、、つつ・・・とオットによってきて
なにやら耳元にささやく。

オット、手を振って「NO」といっている。

なんと
「一人、
3万円でいいよ」といってきたらしい。

ええ~~~?!3万円だったら、してもらえばよかったじゃないの~と
嘆く私。

「いくら制服を着ていても
あの調子だろ。乗り込んでみて、あのおじさんが言ったとおり
アップグレードされている保証は、まったくなかろう、、」と冷静にわが「ブシ」は
つぶやいたのでした、、。

お写真は、そのエジプト航空の機内食・・・

緑のケーキは残念ながら、、モロヘイヤではなく

ふつ~に抹茶でした。とほほ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エジプトその1

6月はじめの1週間、

エジプト→ギリシャ→エジプト、、というコースで回りました。

エジプトは初めてでしたし、なにせ

3歳児と一緒なのでいろいろと万全の準備をしてはいったのですが、、。

いや~~、しかし、すごいとこだったなあ・・・

いろいろと書きたいのですが


まずは
この一枚。Dsc00741jpgppc


食べかけ、じゃあありませんよ。

カイロの某高級レストランにて
饗された
『エジプト風サラダ』。

素材より味より何より、、、
この盛り付けが、、エジプト風!

楽しかった!

すみたくはないけど。

→その2に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

森の神様~奥入瀬~

Dsc00600jpgppc

週末は
青森は十和田湖の近く、奥入瀬渓流(全長約14キロ)を
トレッキングしてきました。
十和田湖から流れ出る、美しい水が
ブナ林の中を縫うように流れる渓流。

日曜日は
雨上がりだったこと、
春だったこと
早朝だったこと、
という3つのよい条件がかさなって
どうやら
森の神様に出会えたようです。

ハート型のぶなの新芽から
なにかが沸き立つ感じ。
むうあ~~~~っと、何かが噴出す感じ。
流れる水も薄緑、、空気すらも
なんだか緑を帯びているような、、、

よく、「森が静謐な雰囲気に、、」という表現の
文章を目にしますが、
ここは静謐ではなかった。新芽が、水が、もごもごと
した小さな命が うごきだしてる!という感じ。

ここを数時間歩いて、親子とも
緑に染まった朝でした。
こういう圧倒的な緑の中にいると
全身が、とくに目が緑になった気がします。
黒目も緑になってまつげも緑になりそうな、、
(なるわけないけど)

そしてなんとなく
うすっぺらい意味ではなく
気持ちも
体も、きれいにしてもらったような、、
ぶなの神様に
「いいこ、いいこ」してもらったよな、、
そういう気分。

都心が気に入ってすんでいますが
私はね、やはり、たまに
こういう場所で「いいこいいこ」、してもらわないと
心のろうそくが消えそうになることがある。

奥入瀬、また秋にいこうっと。

さて今回の十和田は青森の南端。途中、
岩手で新幹線を降りて
秋田もとおっていきました

私は、これまで47都道府県のうち
青森と秋田の2県にだけ
いったことがなかった。

ので!やった~。
この旅でやっとこさ
全都道府県踏破の夢がかないました。

いやはや32年かかってしまった。

でもまだ「通っただけ」な場所もあって、
いきたいところ、みたいものは
山もり。

こまったもんです。われながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2007年7月 »