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2007年7月

お土産お菓子の世界

 

 だいたいどこの観光地にも、

その土地の名物をむりやりお菓子にしてしまったような、、、

『ザ・お土産菓子』とでもいうべき、あきらかに観光客目当てに

作られたお菓子というものがある。

たとえば、北海道の夕張だと、メロンの産地だということで

そのメロンをクッキーにしたりキャラメルにしたり、、、

山梨だとモモの産地なので、何でもかんでも、饅頭でもゼリーでもモモで

ついでに武田信玄も山梨人だということで、強引にも『信玄モモ』という名のお菓子まで

売り出してしまう始末。(ちなみに信玄との関連性はまったくもってなさそう)

ほかにも静岡のうなぎパイとか、青森のりんごパイとか、、、いずれも

当地の製菓業者のみなさんの涙ぐましい努力を感じる商品ではある。

でも。同じお土産菓子であっても、上に書いたようにその土地の『特産品』が

食べ物である場合は、まだ、よい。なんとなく味が想像できるし、素材が

産地だけあって良いので、わりかしおいしかったりする。

いちばんこまるのが、その土地にまつわる、食品以外のもの、、、

それを無理やり、抽象的に抽象的に、、、『お菓子」として表現したものであろう。

わが下関の場合だと

宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦の地(巌流島)をイメージして

某業者さんが『おそいぞ、武蔵!』というネーミング的には非常に面白い

お菓子を売り出したのだけど、、、。東京の友達に渡すと

「・・・どらやきだね」とつぶやかれてしまった思い出がある。やはり

『下関のお土産!』として渡され、そこに『武蔵』という名が踊っていると、、、

なんとなく、「ただのどらやき」では納得のできぬものがあるらしい。

河豚でも入ってるのかと思った、、とは別の友人の談である。

同じように、、拍子抜けした、、という意味で非常に印象深いお土産お菓子。

今日はこれをご紹介したいと思います!

じゃじゃ~ん!大分市にて自ら購入してしまいました~!

Dsc01407jpgppc

黒に近い濃紺の、、豪華なビロード張りの箱!

なにやら赤いプリントで英語がかいてある!

この箱の怪しさ、、いや、失礼、面白さに引かれて購入しました。

箱をあけると、、

Dsc01408jpgppc

かの聖フランシスコザビエルが大分にも布教にきていたということに

ちなんで開発されたお菓子なんですね~。

〔その名も ざびえる)

中身はこんな感じです。

Photo_12

ビスケットとバターケーキの間?のようなもさっとした生地のなかに

南国九州らしく、サツマイモの餡が、これでもか!!というくらいはいっている、、

非常に濃厚な、、けれど、ザビエルとの関連性はあんましなさそうな

お菓子。ザビエルが母国・スペインにこういうお菓子があるのかどうか

不明ですが、、、正直言って、、、う~ん、あまりおいしくはありませんでした。

なんというか、、、餡子が、固い!んです。そして、、、甘いんです!

中東やインドなんかにでかけていって、地元のお菓子の猛烈な甘さに

悶絶することがありますが、ああいう甘さを思い出してしまいました。

でも、、、もったいないので、毎日、濃いコーヒーといっしょに1つずつ

なんとか全部おいしくいただきましたが、、、。箱のインパクトも工夫も

実に面白いのに、中身がねえ、ちょいと・・というのが感想。でも

いずれにしても、上にも書いたように、こういったお菓子というのは地元の業者さんの

汗と涙の結晶(のはず)。これからも、凝りもせずに

いろいろ買って食べてみようと思います~。

そもそも御菓子なんていうものは

家にいるときに近場のお菓子屋さんで食べきれる分だけ買うのが

いちばんいいのはわかってますが、、、お菓子との出会いも、旅の楽しみの

ひとつではありますからして。

もちろん、土佐の「かんざし」とか

長崎の『九十九島せんぺい』とかおいしいものも

たくさんありますし!!

ちなみに、そういう私ですら、絶対に買わないお土産お菓子があります。

勇気を出して書きますと・・・広島の、もみじ饅頭!

あれは、、、ちょっと本当に深刻にまずい!と思うのです。特に

カスタードとかジャムの入ったもの。昔の餡子タイプのものはそれなりに

おいしかったはずなのに、、、なぜ??

広島土産で今もたまにいただきますが、、、、どうにもこうにも、、、。

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河豚も寝るのである~下関海響館

10年近く前、下関に大きな台風がやってきた。

当時、下関には長府という町の海沿いに 古い水族館があったのだけど

その台風は荒れ狂った挙句、その水族館の一部を破壊してしまった。

そして(ちょっとわらえることに)スナメリだのあざらしだのが

関門海峡に逃げ出して大騒ぎになってしまったことがあった。

 そんなこともあって、7年ほど前、下関に新しい水族館ができた。

その名も『海響館』。門司港への渡船が出る港、唐戸という場所、海のすぐそばにある。

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〔写真・海響館から見た関門海峡)

かつて水産業で湧いた港町にふさわしい、実に

すばらしい水族館で、特に、下関といえば!の『河豚』が全世界から

100種類も集められているのが圧巻で、帰省の度に、その『河豚コーナー』を

見にでかけてしまう。

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日本ではトラフグだの、さば河豚だの 食用になるものばかりが目に付くが

いや、実に世の中には、いろんなふぐが奇妙な姿でいきているもんだ!と

毎度毎度感心してしまう。体長わずか2センチの河豚や、まっきいろで

目をギョロつかせた不思議なもの、針だらけのハリセンボンのタグイなど、、、

これが、見ていて飽きない。

そして、なによりもの衝撃はこれである!

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砂の中にもぐってうとうとしておる、、、とらふぐ。

泳いでいる河豚も、産卵する河豚も、、、おいしそうにふぐ刺しにされた河豚も

見たことのある私ですが、、いや、

『寝ている河豚』というのを見るのは初めて!

河豚ってこうやって、海底の砂にちょっこりもぐって

休むのね~~、なんだかかわゆい。

 ほかにもいわしの大群や、海がめの姿も圧巻。

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おなじみのイルカショーも連日大盛況のようであった。

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動物園に行っても毎回そう思うのだけど

水族館も、いや、本当に

大人になってから行ったほうが断然楽しめる!!これは

断言できます。

下関にいかれたら、ぜひ海響館へ!

Dsc01395 Dsc01394

その後で食べるお魚の味は、きっと格別ですよ~。

☆下関海響館

  山口県下関市あるかぽーと6-1

  0832-28-1100

 JR下関駅よりバスで7分

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本州の最西端

 

ご存知の通り山口県は本州の西の端。おとなりは

海を挟んで、九州である。

その山口の中で最西端の町が下関。

なので、本州最西端の地、も、もちろん 下関市内にある。

Dsc01294

JRの下関駅から車で30分ほどの『吉母』(よしも)という小さな集落の

はずれにある、『毘沙の鼻』とよばれる岬が、その最西端の地である。

Dsc01307

われわれ下関の地元民も、少し前までそこが『本州最西端』だなんて

夢にも知らずに暮らしていたのだけど、、、国土地理院が「ここが最西端!」と

認定したのがきっかけで、にわかに 観光地としての整備が進んだ、、という

次第である。

Dsc01311  Dsc01308

整備されたといっても、ごらんのような

灯台のミニチュア、や

歌碑が設置された広場に柵がめぐらされた

だけのことだが、

周囲の山林が剪定されたおかげで、この青い海!!これが

すうっと気持ちよく眺められるようになったのが、最大の観光効果に

Dsc01309なっていると思う!

この日も、沖合いの『蓋井島』(ふたおいじま)が いいぐあいに見え、

東側のがけからは、青い海と小さな集落が見えて

なんとも、、、いい感じ。

Dsc01313

それにしてもこの眺望抜群の岬をかつては

『ゴミ処理場』にしようとしていたらしいので、、、いやはや、

『行政様』の感性には恐れ入ります、、。実際、すでに岬の手前の部分には

ゴミ処理場ができていて、道すがらそれが見えてしまうのは非常に残念。

すんでのところで、『最西端』と認定してくださった国土地理院さんのおかげで

無事、今日もこの青い海が眺められるというわけである。

『観光地』になることで、逆に失われてしまう自然も、景色もあるけれど

ここは、その逆で、『観光地』になってよかったね、と思う場所である。

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写真は『ハマユウ』の花。この時期、日本海沿岸では群れるように咲いています。

毘沙の鼻周辺にもいっぱい。甘い香りがします。

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コルトーの島

 ピアノをかじったことのある人なら、、
「みんな知ってる」らしい、
フランスの名ピアニストに
コルトー(故人)という人がいる。
(アルフレッド・コルトー 1877~1962)

私もどういうわけか
名前だけは知っていたが
今回の帰省で意外にも
久しぶりに彼の名前を聞いた。

私の故郷下関は今はただの
さびれた港町だが
戦前は外国の領事館が 実に
7つもあるほど、ハイカラな町であった。
(旧・英国領事館は現在も内部を見学できる)

そういった事情で
町はわりと外国文化に関して寛容であったらしく、終戦後すぐ・1950年代に
このコルトーを招いての演奏会が行われたらしい。

そのとき、コルトーはどういうわけか
下関市街ではなく、
下関駅から車で一時間ほども離れた、
川棚温泉という小さな温泉街に宿をとったらしいのだ。

(川棚温泉はわが実家から20分ほどの場所で
種田山頭火も愛した、それはそれはいいお湯が湧いている。)

で、そのホテルの窓から日本海を眺めてすごした
コルトーは、、
窓から見える、日本海の風景にすっかり魅了されて
しまったのだという。

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特に、青い海に浮かぶ『厚島』(あつしま)という
小さな小島のたたずまいが
すっかり気に入り、
ついには
「永住の地にしたい」とまで思いつめるようになり、
当時の川棚の町長に
『厚島を買いたい』と申し込んだそうな、、、。

今ならまず不可能でしょうが、、、それは
昔ののんびりした田舎ならではの話で
『永住するなら、いいですよ』というのが
町からの返事。

大喜びしたコルトーは
いったん、フランスに帰って身辺整理をしてから
必ず厚島に戻る、、、と約して
帰国したそうな。

川棚の地元では
有名なフランス人が島を買うというので
厚島をコルトーの名にちなんで
『孤留島』(こるとう)に変え、まっていたのだが、、、
コルトーはフランスで病に倒れ
二度と日本の地を踏むことなく亡くなってしまったそうだ。

生前の彼はそれでも周囲のフランス人たちに
『日本の下関に 夢の島を買うのだ』と繰り返し、
カワタナ、カワタナ、、と夢見る目つきで
島のことをかたりつつ、、、なくなったそうだとか。
彼の残した晩年の日記にも
厚島で暮らす楽しい計画が書かれ、
カワタナでの思い出が
つづられていたとか、、。

しかし彼の死後はやくも50年近い月日が流れ
地元のカワタナでも
厚島を買おうとしたフランス人ピアニストがいたことすら
忘れ去られてしまった。

ところが!
生前のコルトーから
『カワタナの夢の島』の話を聞かされていた
コルトーの息子さんが
「いったいそれはどんな島なのだ?」と
思い出したことで話は
大きく動き出した!

コルトーの息子さん(パリで音楽学校経営)が
下関市に
『夢の島って?』と問い合わせをしてきてくれたというのである。

そこで渡欧の機会があった
下関・江嶋潔市長がパリで
コルトーの息子さんに面会、
とんとん拍子に話が進んで
コルトーが愛したカワタナに、
コルトーの名前を冠した音楽ホールを
建設し、コルトーの愛した自然をめでながら
美しい音楽を聴ける施設をつくることに
きまったのだとか。。。。

私は川棚温泉のお湯で育ち、
厚島など、あきるほど
眺めてそだったが、
あの島を
「なんてうつくしい!」と思ってくれたフランス人がいてくれたことに
しみじみとした
喜びを感じている。

彼はシャンゼリゼの輝きも
モンサンミッシェルの奇跡のようなたたずまいも
ピレネーのひまわり畑の美しさも知っていたに違いない。
なのに
永住の地に
あの青い海に浮かぶ厚島を選んでくれたかと思うと

地元民として
単純にありがたくうれしい。

なぜなら田舎の美、や
田舎のよさ、、というのは
こういう具合に たいがいは他所の方々によって
発見され、地元の人の麻痺した頭と感覚を
目覚めさせてくれるものであるから。

厚島を囲むあの美しい海を
あたりまえだ、、と思っているわれわれに
その貴重さ、そのうつくしさを
初めてわからせてくれるものであるから。

コルトーの音楽堂ができたら
また下関に帰ろう。今からもう、決めている。

ちなみに、、、厚島は川棚の温泉街から車で5分ほどの漁港・松谷港の沖合いにある。

男島・女島・竜宮島の3島からなるが、普段は男島を厚島と呼んでいる。

以前は人もすんでいたらしいが、今は無人で、青い海にただぽっかりと浮かんでいる。

ひなびていた川棚の温泉街も最近ではけばけばしいショッピングモールやなんかが

できて、すっかり俗っぽい町になってしまったが、この海と厚島だけは

今もなお、コルトーをがっかりとはさせないと確信できるほど、

変わらずに美しいままである。

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「セレブ」トイレットペイパー

ビロウなお話で恐縮ですが、、、

週末から実家に帰省しようとしている私。
山口の下関なのですが、下関というのは
山口県でありながら 九州に非常に近い!
関門トンネルという海底トンネルや
関門橋という海峡を渡る橋もあるので、
そこをとおれば、ほんの3,4分で九州にわたれてしまう。

なので、毎回、
帰省時には
・スターフライヤー社を使って 北九州空港につく便にするか

・全日空もしくは日航をつかって
 山口宇部空港につく便にするか、、、

で、非常に迷う。どちらからでも実家までの所要時間は
そうそう変わらないのである。

で、さきほども
どっちにしようかな~、、と運行表などみるべく
各社のホームページをみていたのだが、、、、

スターフライヤー社のホームページをみてびっくり!
こりゃ、今年の7月に限っては
スターフライヤーを使わねば!!と
速攻でチケットを買いました!

何に驚いたかというと・・・

この、トイレットペイパー!
なんでも、ポルトガルの会社が発売するや否や
『ヨーロッパのセレブ』の間で大人気だそう。(ほんとか?!)

http://www.starflyer-info.jp/campaign2007_renova.html

3枚重ねで、ふわふわとやわらかく、
ほのかな香りもしみこませてあるそうな。

しかしなんといっても驚くのはそのお色。

まっくろ・・・。

ネットで調べてみると
赤や緑もあるようですが
3ロールでなんと2500円ほどで販売されているらしい。
た、たかい、、けれども、欧州では大人気らしい。
こういうの、私は個人では絶対に買いませんが
ためしてみたい気持ちは、、おおいにあります!

ちなみにこの製品が現地でもそういう高値で売られているのか
昨今のユーロ高でわれら日本人には異常に高価に感じられるのか
それはわかりませんが、、とにかく
色彩に関する欧米人の感覚って、おもしろいなあ。

最近は日本でも
黒い綿棒など既成概念を覆すグッズ、売り出されてます。綿棒は
私も試したのですが
汚れが確認できてなかなか、すてき。
でも、、トイレットペイパーに限っては
汚れを確認することもないしなあ。。。(汚い話ですみません・・)
既成概念が 覆されるのはいいけど
お医者様にはやはり、白衣をきてほしいとも思うし。

さて、、、それはともかく、あさって飛行機に乗り込んだらば
さっそくにトイレにお邪魔して
香りと、、お尻、、いや、肌触りを確認してまいろうとおもいます。

北九州空港のラウンジトイレにも設置してあるそうですが
北九州の田舎のおっさんおばさん、、、何も知らずに
トイレに入って、、、たまげることでしょう・・・。

ちなみにこのスターフライヤー社は
なかなかサービスはよく、
機内のジュースやコーヒーなどもわりといいものを
使っています。
シートも黒い革張り風でなかなかよかった。
イメージカラーはどうやら『黒』なようで
黒にこだわってシートもHPも作っているようだ。
そのわりに
『黒字』ではなさそうなほど
乗客がすくなくて
子連れでも安心なところが、またよい。

このキャンペーンは7月いっぱいのみ。
九州にいくなら
スターフライヤーを!

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埼玉高速鉄道線の旅3

駅の『鳩ヶ谷特産品展示コーナー』で

目をつけた『武南せんべい』の名倉園さん。住所は「鳩ヶ谷市本町」となっている。

どうやらこの『本町』のエリアが、いわゆる日光御成道の名残のエリアであるらしい。

というので、、、なんとか、本町の商店街(旧日光御成道)に到着。地元では

バス通りとよばれているらしい。

しかし、、ここに来て、埼玉高速鉄道線のあの駅と駅周辺には

ちっとも土地の香りがしないという理由がわかった。

あの鉄道は最近できたものであるのはよいとしても、どういう理由か、

もともと鳩ヶ谷の中心だったと思われるエリア〔本町〕からかなり離れているのだ。

(私の足で徒歩30分弱かかった)

これではあの、無機質な文化の香りがない雰囲気もしょうがあるまい、、。

さて。鳩ヶ谷の中心地・本町である。

私は駅を背にして右に進み、市役所を横目に見ながら

坂下町から商店街に入った。

入ったとたん、、わお!キテヨカッタ~~と思う。

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見よ、この曇り空にはためく『万国旗』。そしてなぜか

スピーカーから流れる、ジャズ風の音楽。昭和の香りにむせ返るような、、

商店街である。もちろん、さびれている。

さびれているのは地元の方々や商家のみなさんにとっては

非常に問題のあることであろうが、

『あのころ』と変わらぬ風情を

楽しみたい旅行者にとっては、実は居心地のいいものだ。

活気がある〔風に見せている〕商店街は、都内でもはや食傷気味である。

100円ショップや派手な看板のドラッグストアやチェーン店で人を

集めているような商店街よりも こういう地味ながらも

個人商店がしっかり残っている商店街のほうが、観察者にとっては楽しいのである。

〔無責任ですみません)

ひしめく商店の中に、さすが、旧街道だ!と思わせるようなふるい建物が

残っていて、少々驚いた。すばらしい。

どうやらこれは 古いお酒やさんのよう。

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こちらのポストはなんとまだ現役!

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素敵な洋館!これは元・眼科医さんだとか。

そして

これが鳩ヶ谷の総鎮守、氷川神社。ああ、実によい神社。きりりとした空気が流れ、

使い込まれた木の色が美しい。

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これは、鳩ヶ谷の商売の神様?『市神様』。

もともと鳩ヶ谷のこの街道では 三と八のつく日に『市』が開かれていたそうで

かつてはたいそうにぎわったのだとか。これはその『市』の神様だとかで

今も、商店街の一角にちょこんと鎮座しておられる。

そして、、目指すおせんべいやさん、「名倉園」さんは、この市神様の

はす向かいにありました!

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なんとも よい店構え!!どうやらお茶屋さんも

兼業されておるらしい。店内を覗くと、木の茶箱が山積みになっています。

昔ながらの引き戸をあけると、、、、ふわ~~~~っとなんとも

香ばしいおしょうゆの香り!

それもそのはず、今まさに、おしょうゆを塗ったおせんべいを

乾かしておられる途中でした!Dsc01258

てきぱきと作業、接客をきりもりしておられる、女性がおそらく店主さんなのでしょう。

美しい白髪、そして白い肌のなんとも うつくしいおばあちゃま。

お年は「78歳ョ」ということでしたが、そうはとても思えない・・

お会計も暗算でちょちょいのちょい!です。

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私はいちばん小さな『3本いり』(1260円)を購入しただけでしたが

子供のために、焼きたてのおせんべい、を

おまけに下さったり、昔のこのあたりのお話を聞かせてくださったり、、、。

お話している間も、小さい子供さんなどが

ひっきりなしに おせんべいを買いに来ては「おまけのおせんべい」を

もらって帰ってゆく。地元の方に愛されているのが

とてもよくわかるお店でした。Photo_11

おせんべいのお味も、、もちろん、たいそう、美味!

こんがりとやや強めにやいてあって、噛みごたえがありますが

かみ締めるほどににじみ出るおしょうゆの味。子供にも大好評でした。

 しかし、歩いてみるとこんなに楽しい鳩ヶ谷も、

駅を通っているだけでは ちっともそのよさがわからないというのは

実に残念。

このおせんべいひとつとっても、駅にちょこっと売っているお店があれば

鳩ヶ谷のよさ、通りすがりの人にも伝わるのになあと

思わずにいられません。

 この日は雨が降り出してしまって、ここで退散しましたが、、、

また鳩ヶ谷、こなくっちゃ。なんだか隠れた名品がいろいろありそうな予感。

うなぎも名物だそうだし、おそばもおいしいらしい(名倉園のおくさま談)。

埼玉高速鉄道線、鳩ヶ谷のほかの駅も、折を見て親子で歩いてみようと

思います。ガイドブックに載らないおいしいもの、楽しい場所、意外と

眠っているんでしょうから、、。地下鉄で素通りだともったいない!

なにせ、、、もうすぐ長い夏休み。時間はたっぷりあるのだから。

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埼玉高速鉄道線の旅2

ということで

鳩ヶ谷駅改札を出るも、、、、うっ!予想以上に人気のない駅にちょっと絶句。

やたらと新しくて清潔でバリアフリーも完璧だが、やはり休日のせいか、、、

人気がなさすぎて、ちょっと怖い。ゴーストタウンにきたかのようである、、。

だいたいこういう駅にくると

一緒に降りた人たちの『流れ』をみて、その人の流れの大きいほうに

行く。たいがい、そちらに大きなバスターミナルがあったり、、

商店街があったりするものだから、その町のたたずまいを知るには、

そうするのが一番手っ取り早い場合が多いからだ。

しかし、、、

残念。休日の鳩ヶ谷には『流れ』をつくるほどの 人はいなかった。

要するに、この町の人々は

多くが車をお持ちなのだろう。通勤時には電車を使っても

休日には車ででかける、、、そういうことなのだろう。

(事実駅近くのパチンコ屋にはものすごい大きな駐車場があって

ほぼ満車であった)

しかし、、、さて、こまった。

駅がこの状態であれば いくら地図を眺めてもどちらに

この町らしい、香りがある地域があるのか、とんとわからぬ。

まず東口にいくべきか、、、西口にいくべきか、、、。

駅の中に何かヒントはないかとうろついていると、、、

発見したのがこれ。

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『鳩ヶ谷の特産品コーナー』である。

半ばやる気を失っていた私も、これを見て俄然やる気に!!

まず、目を引いたのが

『ブルドッグソース』!

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先日来外資系のハゲタカファンドがどうこう、、とかで何かと話題のソース、、、。

ああ、これはここ、鳩ヶ谷の特産品でしたか!!

しらなかった~。ソースというので無意識に関西のものだとおもっていたのですが

う~ん、面白い。

次に目を引いたのが「尺八」と『釣竿』。

Dsc01234 〔写真は尺八)

どちらも、本格的に手作りするには

相当に熟練の技術を要するもので、これが特産品としてあるからには

その技術を脈々とつないできた、文化があったということだ。

この無味乾燥な駅舎からは到底想像もできないけれど、、、鳩ヶ谷、面白い場所かも

しれない~と。期待が復活。

で、尺八やさんに電話を入れてみるも、、、お休みだった様子。残念。

休日に来たのが間違いであったか、、、。

気を取り直して、

結局、特産品のショーウィンドウの中でも

ひときわ輝いていた「武南せんべい」の名倉園さんをめざすことに!

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住所がわかれば、あとはなんとかなる、というので

いざ、出発。

振り返ってみた駅舎は、、、、う~ん、

『旧日光街道』の気配はもちろん、人の暮らしの気配が全く感じられない、、

言ってみれば何のにおいもしない、、、

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『立派な」駅舎であります。

ちなみに、、、『鳩ヶ谷』だけに

鳩がいるかも~と親子で言い合っていたのですが

無念。

鳩ヶ谷駅には鳩はいませんでした、、、。もっとも、

もともと発度(はっと)というのが、平安時代ごろのこのあたりの地名だそうで

なるほど、、、鳩は何の関係も、もともとないのですと。納得。

しばらく歩いてみて、、、、鳩はいませんでしたが

不思議な象が一匹いました。

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どうやら消火栓?のようですが

う~ん、、、、使いづらそう。

→つづく 「せんべいや発見!」

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埼玉高速鉄道線の旅1

我が家のオチビ(三歳)は

母親譲りの鉄道好きで、目下の熱中事項は

『車掌さんのアナウンスを真似すること』!

一番頻繁に利用するのが、地下鉄『南北線』なので、

そのアナウンスはもう、お手の物である。

たとえば、、、『次は溜池山王、溜池山王です。千代田線、銀座線、丸の内線

ご乗車の方はお乗換えください~』とか

「この電車は、埼玉高速線直通 浦和美園行き、浦和美園行き」とかいう具合に。

地下鉄に乗れない日も、おもちゃの電車を動かしては

『埼玉高速鉄道線・・』と一人、ご満悦である。

しかし、、、ある日私は気づいた。

『埼玉高速鉄道線って何?!』と!

そう南北線でまっすぐ埼玉方面に乗っていると

赤羽岩淵以降はどうやら『埼玉高速鉄道線』とやらになっておるらしいが、、、

それはいったいナンなんだ?

と、いうわけで台風一過の今日、チビとふたり

でかけてみました!『埼玉高速鉄道の旅』。

 

 南北線溜池山王駅につくとちょうど

鳩ヶ谷行きの車両が、ホームについたところ。

本当は終点の『浦和美園行き』にのろうとしていたのだけど

「はとがや」というやわらかい響きにひかれて

ついつい乗車。

祝日の南北線は悲しいほど空いている。

それでも 南北線の終点である、『赤羽岩淵』あたりまでは

車両に2,3人いたのだけど、、、赤羽岩淵で

なんと、、、われら親子以外は全て下車、、、。

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いや、、地方に行ってもなかなか 実現不可能な、

「車両独り占め」が思わぬ形で実現!!いや、、ちょいとうれしい!

(たぶん、通勤路線なので 平日は混んでるんでしょうけれど・・)

そんなこんなで感動しているうちに、、、、

『埼玉高速鉄道』区間いよいよ、スタートである。

 

??なにもかわらないのね・・・・。

『南北線」の区間となんらかわらないのですね、、、埼玉高速鉄道線になっても。。

アナウンスも同じ、もちろん車両も同じ、

南北線区間と同じく地下鉄で、『埼玉』という響きが髣髴とさせるような

ベッドタウンの風景も窓からみることはできない。

やはりここは『東京の延長』であって、

『埼玉県』らしい路線ではないのかも、、、とちょっとがっかり。

駅も、地下鉄の駅と似たようなもので、やたらと近代的。

Dsc01230

県境を越えて隣の県にやってきたぜ~~!!という

旅人の喜びはない。

そんなことを考えているうちに

鳩ヶ谷に到着。

全駅で下車してすべて歩くつもりだけど

今日はとりあえず、鳩ヶ谷探検に決定!

いざ、改札を目指す!

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→次へ続く

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あぶ~ら~あぶ~ら~

 長男・シンの幼稚園では

「せみ」がブームである。ことのおこりは、ある男の子が

登園途中の公園で 蝉の抜け殻を発見、鼻息も荒く幼稚園に

もちこんだことが始まり。

先生が教室に飾ってくれて、みんなで見たそうだ。

プラモデル顔負けのメカニックな形に

中にははたしてどんな生き物が入っていたのだろうか?!という

疑問が渦巻く三歳児の頭の中。

どうやら先生が「これはみんみんゼミ。み~ん、み~んって鳴くんだよ」と

おしえてくだすったらしい。

で、家にもどるやいなや、、「ママ、みんみんぜみって どんなの?!」、である。

はて。。といわれても、、、都心の悲しさでそうそう蝉もいない。しかも

台風も近づく悪天候で、蝉も飛ぶのはいやだろう。一応は

近所の日枝神社で探しはしたものの、、、雨に負けて家に戻り、

結局図鑑をみることに。

「みんみんゼミ」をみつけだし、ほれ、これだよ!と教える。

そして解説を読む。「み~ん、み~んと 鳴く」と。幼稚園の先生が

教えてくれた通りである。シン、しばらく難しい顔をして図鑑を眺めていたが、、

はっとしたような顔で

『ママ、これはなにゼミ?』

『ええ、、、っと、アブラゼミだって!羽が茶色いよね』と答えると・・・

シン、らんらんと目を輝かして

「じゃあ、アブラゼミは あぶ~らあぶ~ら~って鳴くんだよ!」

!!わはは!

『ミンミンゼミ』がみ~んみ~ん、、だから

『アブラゼミ』はあぶ~らあぶ~ら、ってわけか!

あはは!でも、、、わらっちゃいけないね、シンはいたって真剣である。

台風がいってしまって、晴れたら

虫取り網を持って出かけよう。

アブラゼミがあぶ~らあぶ~ら、、と鳴くかどうか、

一緒にたしかめなくては!

ああ、子供は楽しい。

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台風の思い出

東京に住んでいると

『台風が来る』といっても、危機感は薄い。

もちろん雨が降って、通勤通学がたいへんだな、、とか

洗濯物がかわかないな、、という程度の感覚はあるが

なまなましい『自然の脅威』というふうには 感じられないのが正直なところである。

その証拠に、懐中電灯を用意したり、買い物に出かけられなくなるからと、

食料品を買い込んだり、、そういうことはしない。

外に出たとしても、ふつうの服装で、靴も長靴などはかなくて済む。

東京は〔大部分は)そういう場所である。

 生まれ育った、山口は、その点、台風に対して誰もがわりと真剣であった。

台風の発生のニュースをきくと、山口にくるかどうかを、みな、常にその進路をみはり、

来るとなったら、強風でなにかが飛ばされてくるのを防ぐために、

窓ガラスにガムテープを張って備えた。庭の植木鉢や犬小屋も室内にいれ、

大人たちは川の決壊に備えて、土嚢の準備をした。一人暮らしの年よりは公民館に

集められ、母たちは非常食のおにぎりを握り、ろうそくや懐中電灯を用意した。

子供たちは学校も半ドンで帰され、外に遊びにいくことも禁じられ、

蒸し暑い家の中で、黒々とした雲がものすごい速さで流れていくのを眺めていた。

どういうわけか、台風の一番ひどい瞬間、というのは、真夜中にやってくることが多くて

ひゅうひゅうと、ものすごい音をたてる風と、屋根をたたく雨音におびえた。

大人たちは眠らずに、時と台風の過ぎるのを待った。

そうやって用心深くすごしていても、不幸は多々おきた。

小学校の時には 同級生のお父さんが、漁船のパトロールに行き、

帰り道、背後から飛んできたトタン屋根が、背中につきささって、死亡した。

増水した川で しじみとりの仕掛けを守ろうとして流されたお年よりもいた。

土砂崩れに飲み込まれて 命を失った一家もいた。

高校生の時には本当に大きい台風が来て、あたりをめちゃくちゃにし、

水道も電気もとまった。水道が復活したのは1週間ほどたってからで、

あのときの 不便さは今もわすれられない。

停電になると、漁港近くの水産物加工会社は 悲鳴をあげた。

冷蔵庫がきかなくなると、入れていた商品はすべて廃棄処分になって

大赤字になるからだった。台風のあと、山積みに捨てられた竹輪や、かまぼこをみて

子供ごころに悲しかった。ほかにも

みかん農家を窮地に落としいれ、犬たちから散歩の楽しみを奪い、

屋根をとばし、ガラスを割り、、、、さんざんな夜が明けると、、、

嘘のように

青空が現れ、すべてなにもなかったかのようなお日様がでるのも

不思議だった。

でも。人間の力ではなにもできない、、あの、なにか「こわいもの」。

それが説明不可能な怒りのエネルギーに乗ってやってくる、、、それが

子供のころにわかって、私は幸せだったと思っている。

東京に住んで、こわいもの、、、を知らない

快適すぎる生活の子供たちをみるにつけ、なんだか不吉な予感すらするのである。

とはいっても、、、明日の雨は残念。せっかくの連休なのにね。

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麹町 泉書房を惜しむ

 

麹町の新宿通り沿いに、泉書房という小さな本屋があって

ここが私の東京で一番好きな 本屋だった。が、、

この4月に、本屋としての形は残ったものの、経営者がかわったらしく

扱う本も 看板も 店名も がらりと変わってしまい、面白くもなんともない

凡庸な本屋に成り果ててしまった。

 

もともと私が生まれ育った田舎町には

本屋は、本当に小さい、子供の本と雑誌くらいしか置いていないような店が

一軒しかなかった。なので、かつての私は とにかく『大きな本屋』に

あこがれていたのである。

18で上京してきたときにも 丸善などの大きな書店にいっては大喜びし、

どんな沿線でも駅ごとに大きな書店がある、ということに、半ば感動していた。

「どこの本屋に行こう?」と迷える、その選択肢の多さを 非常に贅沢なことだと

思った。それは本屋に限らず、洋服を買うときも 雑貨を買うときも、選択肢が多いこと

そのものが、『贅沢』だと思い、都会暮らしの恩恵とはそういうことだと

思っていた。

 しかし そういう生活に慣れ、大きな本屋に入って、無数にある本たちの中でも

結局自分の読みたいタグイの本というのが、実はごく一部でしかないのだ、

ほかの大部分は、実は自分には要らない本なのだと、、と気がつくと

逆にその 種類の多さ選択肢の多さが 非常に邪魔で目障りで まったく

自分には必要でないことを知った。これは贅沢でもなんでもない、と。

 そうして 出会ったのが、麹町 泉書房である。 

最初、ふらりと入ったときには、本当に感動した。

けばけばしい雑誌や『株であなたも大もうけ!」的なノウハウ本はほとんどなく

上質な文学文庫や、新書、芸術書、和の文化に関する美しい本が その

狭い店内に並んでいた。もちろんお客さんはそう多くなかったけれど

そういう本からかもし出される、静かな熱のようなものが漂う書店だった。

読書好きであろう、店員さんの 打てば響くような対応もすきだったし、

今も愛用しているカレンダー式手帖・『歴史手帳』との出会いも、この店であった。

ほかにも いろんな本とここで出合い、取り寄せ、読んだ。ぬくぬくほくほくと

立ち読みもずいぶんさせていただいた。

あの店内にいると、本を読む幸せに全身が包まれるような気がしたのだ。

そして、本屋ひとつでも 数多くの選択肢をもつことそのものが贅沢なのではなく、

その中から、

『自分のお気に入り』『ここでなくては・・』と思う 存在を持つことが

真の意味で 贅沢なのだと さとったのである。

そうして本屋であれ、食堂であれ、 通い続ける店をもつことが

その町で暮らすということなのだ、ということも。

 今は麹町 泉書房は 

 なんの変哲もない、本屋に変わり果ててしまった。店名も

カタカナで、店員さんもアルバイト風。ばかばかしいノウハウ本が

山積みになり、魂のない下品な雑誌が 下品な客を引き寄せている。

あんなに充実していた俳句や短歌、和の芸術に関する本など

見つけるのもむつかしい。

どこをさがしても、 4月まではたしかにここにあったはずの『泉書房』の

おもかげすらなく、

がっかりして店を出た。 

それ以来、その店には入っていない。

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玄米四合

 流行には疎いわがやであるが、
雑穀ブームには乗っている。

年々せり出してくる、夫のおなかをどうにかしようと、
白米大好きな夫をいましめるために、
基本を玄米。あとは麦とかキビとかをまぜて頂いている。
おかげさまで、もともと家族全員悲しいほど健康なので
雑穀生活に入ってから、「ここがよくなった!」とか
そういうのは、見当たらない。
もちろん、夫のおなかもますますせり出しているのは
いうまでもない。

しかし、ここのところの健康食ブーム〈マクロなんとか、、?)を
前にいうのは気が引けるのであるが、
私の子供のころだと、玄米なんて食べてる人は
まず、見当たらなかった。
地方だったし、
ちょうどNHKで「おシン」をやっていて
「しろいまんまが、腹いっぱい、くいてえ、、」な
世界をまざまざと頭に焼き付けた私は、
白いお米以外を食べてる人って。貧乏なんだなあ~と
漠然と思っていた。ばかだけど、そう思っていた。

中学生くらいになってお弁当に
玄米を入れてきてる人が一人いたけど、
彼女の家は宗教かなんかで、健康にやたらと
気を使っていた。

だから玄米=貧乏OR健康オタクと思って
20歳ぐらいまで生きていた。。(はずかしながら)

今思うと
玄米=貧乏を私に刷り込んだのは
おシンのほかに、宮沢賢治である。

あの有名な
「雨にもまけず」の詩の中で、
掘っ立て小屋に住んで、死にそうな人が近所にいたら
「心配しなくってもいいよ」と言いに行ったりする
優しいけど貧しそうな主人公が、
玄米を食べるのである。

抜粋させていただくと
「一日に 玄米4合と味噌と少しの野菜をたべ、、」。
う~ん、貧乏そう!!

でも最近になって私は気づいた。
一人暮らしで、「玄米4合」って、多すぎない?
うちだって、2人プラス1幼児だけど、
4合もたべないよ、、。
4合もごはんたべてりゃ、おかずがお味噌と
お野菜すこしでも、たりるよね、、などと
妄想が膨らむ。

で、ちょっと調べてみたら
宮沢賢治って、貧乏でまじめ、、な印象がありますが
実際はまったくそんなことはなかった様子。
真面目は真面目だったかもしれないけれど、
実家は「裕福な質屋」で、お金にはまったく困っていなかった。
花巻の料理屋でビールやサイダーを飲むのが
すきだったとか。。う~ん、人は見かけによらぬなあ。

 でも実家が「質屋」だということに
非常な罪悪感を抱いていたらしい。
人の不幸が収入になる職業だ、と
いうことで。

だから彼には「貧乏への憧れ」のようなものがあって、
貧しい農村でやみくもに農業を始めたりしたのだと
言っているひともいた。

これをよんで、ああそうか。と思った。
貧乏にあこがれているから、その理想の姿として
現実には経験のないことを詩で歌ったのね、と納得。
だから「玄米4合」というのも、想像の域をえないのかも、、ね。
いくら農村地帯でも
貧しい人は一日に1人4合も食べられなかったはずだから。。

現在の日本は、玄米のほうが白米より高く売っていたりするし
雑穀なんかを好んで食べるのは
ある程度生活の感度が高い、裕福な層であろう。
今の状況をみたら、宮沢賢治氏も、きっと
「玄米4合」とは書かなかっただろうなあ。。。

しかし、お金があることの罪悪感。
神経が繊細なひとならではの、ものですね。
これも現在ではほとんど見当たらない、現象です。

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萩のお茶わん

 大事にしている萩焼のお茶碗。

Dsc01196

右のやや赤っぽいほうがもう20年も前に買ったもの。

本当はもうすこしあわい色合いだったのだけど

これが例の『萩の七化け』というものでしょう、だんだんと

色が濃く変わってきました。

左の、淡い色のほうは、去年手に入れたばかりのもの。

しろっぽいフのような模様が不規則に入っていて

眺めていてあきない。Dsc01203

萩焼はご存知のとおり

「一楽、二萩 三唐津」とわれるように、お茶器としてとても名高いものですが

山口では、高価な抹茶茶碗はないにしても

こういうお湯のみ感覚のお茶碗は、たいていどこの家庭にもあって、

ちょっとした来客のときなど、ごく普通に使われているものです。

  自分で好きなものを買っている、というのではなくて

結婚式の引き出物や、記念品、お土産などで 偶然手に入れる場合が

多いようですが、みんな、『萩のお茶碗、萩のお茶碗』と呼んで

なんとなく大事にしているのです。

 萩焼の特徴はなんと言ってもこのやわらかい色合い。『何色」と

いいきれない、微妙な色合いに心が和みます。

次に高台。萩焼の高台は、特に『割り高台』(もしくは『切り高台』)といって

ごらんのような切込みがいれてあるのです。

Dsc01201

これは

①もともと萩焼は毛利藩の御用窯であったので、市販が禁止されていた。

 なので、わざと『傷』をつけて、市販用にした。

②お茶碗を何個も重ねて運ぶときに、縄をかけて運ぶのだが

一番下のお茶碗にその縄のひっかけるために切り込みをつけた。

など諸説ありますが、、、決定的な説はないそうです。

 ともかく、萩の町に行くと、あちこちに

萩焼のお店や工房があって、東京などで買うよりもずいぶん

お手ごろ価格で萩焼が手に入ります。

最近のお気に入りのお店は

『竹庭 萩野』さん、http://www.hokumon.co.jp/chikutei_hagino/hagijyogama.html

そして、、、以前ご本人にお目にかかったことはあるものの

まだその作品を手に入れられずにいる、憧れの萩焼き、、それは、、、

なんとスウェーデン人の萩焼作家さん ・ペアソンさんの もの。

 ペアソンさんはもともとロイヤルコペンハーゲン社で絵付けをなさっていたそうですが

萩焼にほれ込んで萩に移住。南明寺窯をひらいてもう30年になるとか・・。

伝統的な色彩の萩焼の上に、素朴な野の花の描く、、という独特の作品。

ちょっと高価でまだ手がでなかったのですが

今度、萩に行ったら、、、う~ん、「清水買い」してしまいそうです!

『南明寺窯』 http://www.persson.jp/

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松陰先生のランチ

Dsc01099 「長州のお侍さんは、茶殻の握り飯を 食べなさる」。

その昔、参勤交代などで江戸へ向かう長州藩士の

おにぎりを見て、よその土地の人はたいそうおどろいたとか。

実際はこれ、「茶殻」ではなくて

「刻みワカメ」のおにぎり。まあ、たしかにDsc01098見た目はにています。

山口でも特に日本海側の地域でふんだんにとれるワカメを

こまかく刻んでほっかほっかの

おにぎりにふりかけたもの。

握ってしばらくすると、乾いていたワカメが

お米の水分を 吸い込んで、しなしなと なんともやわらかくなって、、、

そのワカメからなんともいえない、磯の香りがごはんにも移って、、

ある意味、お魚よりも貝よりも 食べ手に「海」を感じさせるおにぎりです。

かの吉田松陰先生も

ランチは常にこれで、松下村塾の門下生たちも、たびたび

ご相伴に預かっていたとか。。。

下関育ちの私も、もちろん

このおにぎりで育ちました。

お弁当箱をあけて、このおにぎりが入っていたときの

わくわく感。口に含んだときの、しょっぱいほどの磯の香り!

ふぐよりも うによりも

地元の普通の生活にとけこみ、脳みその皺にも刻まれた心の味です。

おにぎりにするだけではなくて

写真のようにあらかじめ、ご飯に混ぜ込んでおくのもいい考え。

即席の炊き込みご飯のように、しっかりワカメの味がごはんに

移って、、これはこれで幸せなものでございます・・

Dsc01103

 ちなみに私が東京で購入しているのは

松陰先生のおひざもと 萩市の「井上商店」さんの

紫蘇入りわかめ。

         海の味がします。http://www.hagiinoue.co.jp/top/index.html

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黒澤映画「夢」の水車

 週末は信州、安曇野に行ってきました。

1泊だけの小さな旅。今回のテーマは「水」でした。

3歳になるうちのチビ〔男)が、ある日絵本を読んでいて

川のお水をさわってみたい!と言い出したのがこの思い付きの始まり。

 言われて改めて考えてみると、今住んでいる永田町には「川」などない。

幼稚園までの道のりにも 高速道路はあっても川はない。

がんばって、皇居のお堀までは歩けるけれど、とても

触れるようなものではないし、息子の愛する「クラムボン」(宮沢賢治)も

いないとおもう。

というので、、やってきた、上高地。

Dsc01121

水底の小石まで透けて見える美しいお水。そしてその石が赤紫や

黄土色など、、色とりどりなのも、子供にはうれしかった様子。

 遊歩道を歩けば、そこここに夏の花々。

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ニッコウキスゲはこれからがさかり。

Dsc01118

カラマツソウは、一個一個のお花は本当に繊細でじっくりみるとレースのよう。

Dsc01130

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ちょうちょうは、なんで羽の内側だけ紫色なんだろう、、とかなんとかいいながら、

親子3人、

ゆっくりあちこち寄り道しながら、

大正池→河童橋まで2時間もかかってしまいました~。

でも、たのしかった!Dsc01135

この上高地から平地に降りると、安曇野の市街地。

そのはずれに、「大王わさび園」という大規模なわさび農園があります。

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ここは、山から流れる冷たい清水を使って、わさびを大々的に

栽培しています。わさびというと、伊豆や山口などほかの産地では

どちらかというと、山間の薄暗い斜面で作っている、という印象が強いし

もともとそういう場所に生えているのが本当なのでしょう。ここは

かなり人工的な感じがして、、しかもそこを観光地として大型バスを誘致

してたりして、、、私は実はあまり好きではない。

だからわさびも買わなかった。

 でも、なんで行ったかというと、、、

ここの農園の一角に、昔の農家を再現しているエリアがあって

そこに、昔の水車が設置され、現役で回っているのだけど

黒澤明監督の映画「夢」で、寺尾聡演じる主人公が

不思議なおじいさんに出会う場面はここで撮影されたものらしい。

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実際に行ってみると映画で出ていた「橋」はないものの、

映画どおり水車が回り、あの、緑の水草がさやさやと流れ、、、

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わさび園の俗っぽさと好対照の 美しい空間でした。

Dsc01164

日本ってこんなに美しい場所がたくさんあったんだなあ、、、しかも

たくさん残っているんだなあ、、、しばし 呆然。

冷たいお水もいっぱい触って、大満足の親子旅。

Dsc01114

次回は、、海に行こう!

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ビン雲丹とジン

下関の名産品のひとつに

アルコール付けのビンうにがあります。

文字通りアルコールでうにをつけてあって、ビンに入ったもの。

うにの風味にほのかに酒の香り、、お茶漬けにいれたり

焼きおにぎりに塗ったり、パスタに混ぜたり、、もちろん

そのままなめたり、、、。

おいしい~~!これがあればごはん、3杯いけちゃう、、というので

我が家はこれを欠かしたことはありませんが、、

このウニのアルコール漬け、これが始めて作られた場所が

下関市の沖合いに浮かぶ小さな島、「六連島」(むつれじま)だということは

まだあまり知られていません。

六連島は 下関の沖合いにうかぶ小さな島ですが

関門海峡も近い海の要衝で、明治時代には早くも西洋式の灯台が

設置されていたのです。

そしてその灯台には

もちろん明治政府から雇われた「お抱え外国人」である

イギリス人が、灯台守として住んでいたのだとか、、、。

 そして、ある日、島の住職がそのイギリス人を呼んで

酒盛りを開催したそうな。もちろん住職は日本の酒を用意していたけれど

イギリス人はなにやら西洋酒を用意していた、、。酌み交わすうちに

次第に酔いが回り、、、つい狂ってしまう手元。

杯に注ごうとした 西洋人の酒が、つまみの雲丹の小鉢に

こぼれてしまった。

あらら?と思った住職はもったいない、、といいながらその雲丹を食べてみる。

・・!!なんというおいしさ!雲丹と酒をあわせるとこんなにおいしくなるのか?

そして酒を含んだ雲丹はほどよい固さに固まるのか??と

おどろいた住職。この後 地元の漁師と一緒に雲丹のアルコール漬けを

完成させることになり、、、六連島が雲丹のビンつめ発祥の地と

なったわけなのでした・・。

そして。

その灯台守のイギリス人が あのとき こぼした洋酒。

これがなんと、、、ジン、オランダアムステルダムと銘がかかれた

ジンだったとか。

この小さな島で

住職とイギリス人が出会い、

日本海の雲丹と オランダのジンが出会い、、、

その結果でいま、

私の白いご飯の上に

おいしい瓶詰め雲丹がのっている。

ああ、なんとこの世は面白いことか、、

雲丹を食べるたびにそう思わずにはいられません。

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新永田町名物

 私が永田町に越してきたころはまだ、

キャピトル東急も開いていて〔(現在は建て替え工事中)、

永田町名物というと ホテルや事務所ビルの前に連なる黒塗りの車列だった。

だいたい、セルシオだとかクラウンだとか その手の高級車で

色はどういうわけか、、黒。スーツ姿の運転手さんが車外で待機しているのだけど

「○○先生お帰りです~!」とホテルからのアナウンスが聞こえると大急ぎで

運転席に戻り、ホテルの車寄せまで移動、、という光景をよくみかけたものだ。

運転手にも乗るほうにも、、、両方になりたくはないもんだと思いつつ。

 その次の名物は 街宣車。あの、、、こういってはなんですが

うるさく軍歌調の音楽をがなりたてながら、「○○(大臣の名前)、やめろ~!」とか

「戦争容認憲法をかえろ!!」とか、冷静に聞いてみると意味不明な言葉を

どなりつつ、やってくるのである。

同じ永田町でも庁舎のあるほうだけにいってくれるといいのだが、

たいがい、先生方の事務所のはいっているビルやマンションのほう(2丁目側)にも

大挙してやってきたりするので、うるさくてしょうがない。

あとは、、、選挙前やなにか政治的な事件が起きたときに事務所ビル前に

群れる「政治記者」の群れ。夜討ち朝駆け、、ってな感じではなく、ただ入り口で

呆然と群れているように見えるし、通行人としては結構じゃまである。

 まあ、永田町というのは住民人口は200人ほどの狭い地域ではあるし

飲食店なども少ないので、そうそう「名物」といえるものはないのである。

それに加えて 先だってキャピトル東急が休業に入ったので「黒塗りの列」は

今のところ永田町名物、とは言いがたくなってきてしまった。

そこで新たな 永田町名物が出現。それは、、

なんとこの 「白い壁」である。

Dsc01081

工事現場を覆うこの白い壁が

今、もっとも永田町らしい光景となってしまっているのである。

と、いうのも、今、永田町は本当に本当に、、、工事現場だらけ!

首相官邸横の仮庁舎、衆議院議員会館、キャピトル東急の解体現場、

TBRビル隣マンション建設予定地、、、この狭い永田町の大部分が

この白い無機質な壁で覆われてしまっている感がある。

2丁目の交差点の周辺はもう本当にすごくて、特に衆議院議員会館は

敷地が広大なので、日枝神社まえのあたりから、旧永田町小学校のそばまで

この白い壁が伸びている。

当然この壁の中では 文字通り急ピッチの作業が続いていて

騒音も相当なものではある。が、この工事によって損害をこうむっているのは

われら人間だけではない。

もともと廃墟のようだった衆議院会館の敷地に住んでいた、大勢の野良猫たちである。

どうやらえさをあげる人がいたようで、ずいぶん前からこの敷地に住んでいた

この猫たち。

工事が始まってその安住の地を追い払われ、、、、なんとなく

ずいぶん数が減ってしまったように思う。どこかにもらわれていったのか

保健所行きとなったのかわからないけれど、

かろうじて残った数匹が、今日もゴミをあさっていた。

全ての工事が終わったら、、さあ、永田町はどんなふうになるだろうか。

変わり行く永田町の中で、

緑の日枝神社の杜だけが、、、なんだか救いのように輝いてみえる。

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萩のお菓子~高校生ベンチャー

山口、萩にいらしたことのある方なら、きっと

武家屋敷の土塀の中からのぞく、なつみかんの黄色、覚えてらっしゃると

思います。

萩は実に夏みかんが多く植えられ、しかも、それが非常に絵になる町でもあります。

 最近、私がその萩の町からお取り寄せしているのがこの御菓子。

Dsc00929

やはり夏みかんをつかってます。

     Dsc00933      

その名も ①「甘 夏彦」(夏みかんタルト)←

   表面にこんがりと夏みかんの果肉。

      

 ②「萩 夏子」(夏みかんマドレーヌ)

    Dsc00943      

←ふんわり柔らか~な生地の中に夏みかんの皮が。

どちらもふんだんに 夏みかんを使っていて

ほろ苦くてでもあまい!というあのかんきつ特有の香りがして

なかなかおいしいお菓子です。でも味よりもパッケージのかわゆさよりも

私が感心しているのは、、、

この御菓子、なんと萩の地元の高校生が作り販売する、高校生ベンチャー商品

だというところ。

萩市内の萩工業高校と萩商業高校の生徒さんが 高校生企業家グループ

「萩翼・維新隊」を作ったのが2003年。以来、地元の製造業のみなさんの

協力の下、次々に新製品を開発、製造販売、、という

試みをやっていて、その結果、、遠く東京に住む私の口にもこの

ほろ苦い香りのお菓子が 届いているというわけ、、。

萩は歴史の町という印象が一般的には強いのでしょうけれど

歴史にすがって停滞ばかりしている町ではないのです。

その一つとしてこうやって新しいことをはじめる若者、それを応援する地元企業という

システムが出来上がりつつあるようでなんだか、しみじみうれしい。

私は故郷を離れて 何も具体的な協力はできないのだけど

わずかながらでもこういうものを 買わせていただくことによって

間接的に協力できたらなあ、、と思っています。

Dsc00936

あ、おいしいものもたくさん食べられるので一石二鳥のふるさと応援ってところかな。

今後も順次、山口のおいしいもの、ご紹介しよう!と

もくろんでいます。

 でも 「みびいき」抜きにしても

おいしいですよ、この御菓子!ネットでも購入可でございます~。

http://www.hagiinoue.co.jp/osc/catalog/product_info.php?cPath=66&products_id=224

ちなみに

豆知識。

なんで萩の町にはあんなに夏みかんが多いのか??

→明治維新後、禄を失って困窮していた元武士たちが

 一致団結。「耐久社」という組織をつくり、武家屋敷の庭などを利用して

 どんどん、夏みかんを植えていったのが始まり。

 夏みかんの原木(改良前の自然のもの)が 萩のお隣長門市に1本だけ残っていて

 天然記念物になっていますが、気候的に山口はかんきつ類の栽培に

 向いているということなのでしょう。。

 今では県下全域で夏みかん以外にもいろんないろんなみかんが作られてます。

ちなみに、、、ガードレール、山口では白ではなくて

黄色なのですが、これもなつみかんの黄色からきているというのは

地元では、、、有名なお話でございます。

  

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おみくじ日本一~周南市

 神社に行くとずらり、、と結んであるおみくじ。

Dsc00919

大概白地に黒の文字、ふちは赤、、と

決まったデザインですね、どこの神社も。

それもそのはず、国内の神社で売っているおみくじ、

その7割が、山口のある会社で作られているからです。もちろん

この会社、おみくじ生産全国シェア日本一。山口は河豚だけでなく

こんな意外な「日本1」も誇っていたんですね~。

 その会社は、山口県の〔今は合併によって周南市の一部なっていますが)

鹿野町という小さな山間の町にある「株式会社 女子道社」さん。

会社といっても、もともと 二所山田神社という地元の神社の神主さんが

3代前から経営しておられるものです。

私も一度お邪魔したことがありますが、神社のわきにある

素朴な木造の建物が 女子道社さんの社屋。その中で わずか6名の

従業員(全て女性)のみなさんが、せっせと、手作業でおみくじを

折っていらっしゃいました。

もともと3代前の神主さんが、明治39年に

女性解放運動の一環として 神道に携わる女性向けの雑誌を創刊したのが

そもそもの始まり。その雑誌の発行費用に当てようというので、おみくじ生産を

はじめたということです。そして大正時代には、あの、今でも神社境内でよくみかける

赤い「おみくじ自動販売機」も発案、特許取得もされてます。

今では英文のものをハワイに輸出していたり、と名実ともに日本1の

おみくじ製造会社ということに、、。

私は実は、鹿野町に行って見学させていただくまでは、なんとなく

神社さんなのに商売じみててなんとなくいややなあ、、と思ったし

そもそも 大量に生産されたおみくじなんてなんか、うそっぽいし

御利益もなさそう、、などと思っておったのですが、それは

間違いでした。上にも書いたようにひとつずつ、人の手で丁寧に折られているし

なにより、

遠く離れたまちまちの神社で、たまたまそのおみくじを引く、、というのは

やはりそのおみくじとなんらかの 「引き寄せあうもの」が

あったからではないか、、、と思うようになったからです。

  今日、平河町の平河天満宮さんで

ひいたおみくじは、吉。

まずまずの内容にほくそ笑みつつ、このおみくじも

鹿野から来たのかしら、、と想像。

同じ山口出身かと思うとますますありがたみが増しちゃうわ。

もってかえってしばらく、眺めて暮らそう。

 私がある神主さんに教わったところによると

おみくじを境内の 木やなんかに くくりつけていいのは

「凶」がでたときだけ。その悪い運勢を境内に残して穢れをはらって

もらうときだけだとか。

そしておみくじの 一番いいところは

たとえ凶であっても その人の運勢を100%否定しないということ。

凶で、もう、まったくついてないよ!と

突き放すのではなく、吉の場合と同じように こうすればもっとよくなる、、と

なんらかの戒めや励ましが 含まれている内容になっているのが、すばらしい。

今日はひいたおみくじをスカートのポケットにいれて

帰りました。帰り道、ポケットの中で 「吉」がほかほかと

暖かい。吉をだっこして帰ってるような、いい気分。

神社はやはりいい場所です。

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三段壁~和歌山

和歌山、白浜町の名所、三段壁です。

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青い海にそそりたつ、50メートルの断崖絶壁。

その昔は

地元の猟師たちが、通過する船や、魚群の「見張り壇」に

使っていたのが、転じて「三段」になったということだとか。

初めて現地に行ってみて、その雄雄しさに感激するものの、、、

う~ん、どうしても

三段壁、というと「自殺の名所」という印象がぬぐいきれません。

今でも年間20名は自殺志願者が保護されるというのですから

なにか、、引き寄せられるものがあるのかもしれませんね。

私のように自殺なんぞする気がなくっても、、。

この高さから青くうごめく海を眺めていると、、フラフラクラクラ、、、。

「命の電話」だの「早まるな」だのいう自殺希望者への警告看板が

目に付きますが、、、そんなものを建てるくらいなら

「柵」を設置すればいいのに、と思うんですが、なぜか柵はなし。

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 ちなみに、この断崖の地下には、

「三段壁洞窟」というのがありまして、これは平安時代このあたりで

幅をきかせていた「熊野水軍」の

隠れ家だったとか。

この熊野水軍って 源氏と平家の壇ノ浦の合戦のときに、

ここから船団をつらねて、壇ノ浦〔山口県下関市)まで

源氏の援護にいったというのですから、、驚きです。

昔の人のほうが、今の人よりも 距離や難路をも気にせずに

ダイナミックに、日本を北に南に動き回っていたんだなあ、、、と

しばし、呆然。この青い海と白い波を超えて

旅立った人々を思いつつ。Dsc01078

 しかし、しかし、しつこく、自殺の名所という話に戻りますが、、

ここから、こんなとんでもなく高い場所から、あの痛そうな岩場に

飛び降りる勇気があれば、この世の大概の苦しみに、

立ち向かっていくことができそうなものだと

思うのですが、、、どうなんでしょうね。

ああ、こわかった。

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目張り寿司

和歌山、とれとれラーメンにつづいて

おやつには、これをいただきました!Dsc01080

和歌山、、というよりも熊野地方の名物、「目張り寿司」です。(1つ350円)

ご覧のとおり、

大きなおにぎりで、高菜の漬物でおにぎりを丸ごと包んだもの。

もともと熊野地方で、林業に携わる人々のお弁当だったとかで、

なるほど、大きい。これを3つも食べたらば、体力勝負の山仕事も

どかどかできそうな感じである。

 お店のおばちゃんによると

「大きいから、口をあんぐり、と開けて食べる。すると目も自然と見開く形になる。

だから目張り寿司じゃ」と。

なるほど~~!たしかにかぶりつくと、人間、目を開くんだわ!

初めて気がつきました。

そして、、「お寿司」だというのに、これ、酢飯じゃないんですね。

ふつうのごはんです。私がいただいたのは、いわゆる菜飯で、

高菜のおつけものをしろご飯に混ぜ込んだものでした。

お店によっては、これがちりめんじゃこ飯だったり

ひじきごはんだったりするそうです。ま、もともとお弁当だったんだから

その家々のレシピがあって当然でしょうか。

名物にもおいしいものあり!!といっていいほど

おいしいおすし(おにぎり)でございました!

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驚異的なラーメン~和歌山~

土曜日は和歌山・白浜まで行ってきました。

仕事だったので、決死の日帰り、、。いや、行く前は

日帰り大丈夫かな~~~と心配し、決死の思いでおったのですが

いや、近いのですね、白浜って。

飛行機だとわずか羽田から55分。南紀白浜空港は市街地から5分ほど、、という

近さ。このあたりの別荘地が「東京都白浜町」と冗談でいわれているのも

わかるわ~という、便利さです。

 だったら、帰りだけ飛行機にして時間を節約すればいい!行きは

電車でゆっくり行こう!というので、新大阪から特急くろしお号にのって

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たどりついた白浜町。

おなかぺこぺこ、、、だったのでまずは、

漁協のやっている、「とれとれ市場」なるショッピングセンターに。

海が近い場所柄だけあって

食堂のメニューも魚一色。おつくり、お寿司、炉辺焼き

シーフードバーベキューのコーナーも!いや、もりだくさんです。

いろいろと目移りしましたが

私は無難にいくら丼〔800円)、子供は肉うどん〔680円)、、と注文して

夫のほうをみると、、、らんらんと眼を輝かしているではないですか!

いやな予感、、。こういうとき、うちの夫は一番の「冒険メニュー」を

選ぶのが常なのです。。で、が~ん、やはり

たのんじゃいました、「ラーメン 1500円」。

なんでラーメンなのに1500円なんだ??というので私など

無視しておりましたが、、、夫は迷わずこれにしてしまったのですね~。

何でも、「その日取れたものを入れた とれとれラーメン」だとか。

で、、、でてきたのがこれ。Photo_8

う~ん、しょうゆラーメンの上に、

イセエビ、帆立貝(殻つき)、タラバガニの足。

うわ~~~てんこ盛り!

でもでも、、、イセエビはともかく、この辺って

タラバガニなんて取れるのかしら??いや、私が頼んだ、この

「いくら」だって、とれるわけないよね?!

場所が「漁協」だというので、感覚が麻痺しておりましたが

このあたりで取れないものなんだから、結局「とれとれ」なわけはない!

冷凍物を解凍したんだろうなあ、、、

皮肉にも「とれとれ」を名乗ったばかりに、かえって興ざめな

ラーメンでした、、。

イセエビはおいしかったらしいです。(オット談)

 しかしこのどこにいっても

「ごちそう」といえば、エビかカニかまぐろ。

なんで日本人は、この3つがそんなにすきなんでしょう、、。

本当においしいと思っているわけではなくて

「おいしいのだ、これはごちそうなのである」という

呪文にかかっているだけのような、、、気がします。

もっと地元らしい、もっとおいしいもの、あるのにね。

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